ヤモリ 45
そして直子はと言うと、言うまでもなく成人式には参加せず、大学進学と同時に一人暮らしを始め、連絡を取り合うような昔の友達もいなかったから、その死を知ったのはしばらく時間が経ってからのことだった。
「余計なことだと思うけど、有馬君が亡くなったそうです。原因は分からないけど、本当に残念ね。」
弥生からの荷物に添えられたメモにはそう記されていた。
「へえ」
直子は呟いた。声が壁に吸い込まれるくらいの間はメモに視線を落としていた。しかしそんなのはものの数秒のことで、直子はすぐにメモを捨てると、箱に詰まったレトルト食品を棚に並べ始めた。それっきりだった。
直子の人生はそれからも続いた。シャーペンを走らせる勢いのまま大学で学び(工学系で女性が少なく、自然、周りとの交流も少なくて済むのはありがたかった)、留学を経て大学院を修了し政府系の研究機関に職を得た。そしてシャーペン以外の様々な器具も自らの身体の一部として使いこなすようになったが、やはり経歴を飾ることや周囲からの評価にはあまり興味がなく、ただひたすらに自分のやるべきことだけをやるという姿勢は変わらなかった。ただその方向が独りよがりのものにならず、研究の目的とも合致していたのは、直子にとって幸いなことであった。
しかしそれでも常に超然としていられたかと言うとそんなことはなく、折に触れ、きっかけとさえ呼べないようなふとしたことから奇妙な強迫観念に囚われることがあって、その都度、激しい内面の混乱に振り回された。特にその傾向が酷く表れたのは、結婚適齢期に差し掛かった頃や、出産年齢を過ぎる辺りであった。と言うことは、この混乱はやはり何らか女性性に関わりがあるものだったのかもしれないが、だからと言って十五の時の生理と同様、結婚したから、子供を産んだからという単純な何かをもって収まるものでもないことは明らかだったし、第一そんな希望を心のどこにも抱いていないからこそ厄介だった。またその葛藤は、他人の目からは至極当たり前な自然の摂理のように見えるからこそ、誰に言ってもしょうがなかった。
直子はその都度耐えた。何に対して耐えているのかもはっきりしないものに対し、歯を食いしばって独りで耐えた。直子の精神力(不思議な言葉である)はそれによってますます鍛えられた。ますます他人を必要としなくなった。先へ先へと進んでいった。そしてその歩む道はますます揺るぎないものになっていった。
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