ヤモリ 1

大抵、事件というのは当人以外にとっては取るに足りないものだ。目に見える形で起こることすら少なく、大抵は当人の心のうちで一滴の染みのように始まって、じわじわ、ぶよぶよと膨らんでいく。なんでその程度のことが、と周囲はもちろん当人にさえ不思議に思えるが、後々過去を見渡せるようになった時、節目節目にその取るに足りない事件が相似の形で繰り返されていることを発見し、自分の意志や努力とは無関係に、それこそが人生の大きな傾向を示していることを知る。もしかするとそれを運命とかいうのかもしれないが、結局はそれもやはり「へえ」としか言いようのない程度のことだ。

直子の夏も一つの取るに足りない事件から始まった。それは何の変哲もない朝のことだった。終業式の日で、直子はいつもの時間に食事を済ませると、自室に戻り、きちんとアイロンのかけられた制服に着替えた。室内は整頓が行き届いており、この年頃の少女の部屋にありがちなアイドルグッズや無暗に場所をとる雑貨の類、カラフルなもの、ふわふわしたものは何もない。亡くなった祖父の強硬な主張により付けられたその名前の印象通り、直子は生来が几帳面な性格であり、十四歳にして既に自分のやり方というものも確立されているように見えた。

直子はカバンの中の持ち物を確認した。授業はないから教科書はいらない。筆記用具と、返却物が多かった時のための折り畳みサブバッグ。午後は夏期講習があるので、塾用バッグにはその準備。時計は八時を示している。家を出る時間だ。その時だった。窓枠から本棚の裏へと滑るように逃げ込む小さなものが視界の端に一瞬映った。ヤモリだった。

ジェットコースターに乗っても表情一つ変えない人、事故に遭って大けがをしているのに歩いて帰るという人など、どんな衝撃を受けても大騒ぎしない人というのがいる。平気なのではなく、ショックが反応として表れるのが遅れる人のことだ。直子もその種の人間だった。それはまさに冷水をいきなり頭から浴びせられたかのような衝撃だったが、直子は何も見なかったようにカバンを持つと部屋を出た。そしてそっとドアを閉めた。塾用バッグを取りに入らなくて済むように、今のうちに持って出ておくという分別さえあった。

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