一人と六姉妹の話 23
東畑の夜は長く、暗い。街の明かりは山々に遮られ、自ら光を放つほどの営みもないために、集落は日暮れと共に闇に沈んでしまう。静寂そのものだが、それは単に人の立てる音が何も聞こえないという意味に過ぎず、実際は辺りを跋扈する訳の分からない生き物たちの立てる音で騒がしい。いったい何が蠢いているのか。かなり近いところにいるのは確かだ。息遣いすら聞こえてきそうだが、それが何かは分からない。
夜もあまり本は読めない。結局、本は都会でしか読めないのかもしれない。本に限らず、映画でも音楽でもお笑いでも植物園でも同じことで、そういうものは全て人間の領域、理性の領域、「これ」と言ったら「あれ」ではなく「これ」のことだとちゃんと伝わる領域に属している。疑いなくその中にいるから初めて意味を持つ。しかし私が今隣り合っているのは、窓を開けたらこちらへどっとなだれ込んできそうな闇だ。領域の境界を侵して今にもはち切れそうな何かだ。染み出してくる気配がページに並んだ文字列をぼやけさせる。本を読むのは無理だ。とはいえまだ九時前で、寝るには早い。
祖父の言葉が宙に浮かんだままだった。神戸のその人と接点があったとは思わなかった。そしてそんな子供のうちに祖母と会っていたとも思わなかった。だが狭い世界の話だから、考えてみればそれも不思議なことではない。
その人とは何か話をしたのだろうか。しなかったのだろう。ここではないどこかのことを考えていた年上の女性と、家の跡取りとして一生ここで暮らすことに疑いを抱きもしない中学男子とでは、話すことがあるはずもない。だがそんな対照的な二人が交錯したことがあるという事実は少し面白くもあった。その人にどんな印象を持ったのだろう。未だに覚えているということは、それなりに記憶に残るような出来事だったのだろうか。やっぱり少し違う雰囲気があったのだろうか。もしかしてもう何か問題となるようなことを起こしていて、祖父の耳にも入っていたのだろうか。それとも後の顛末を聞いたから、曖昧な記憶が上書きされる形で強化されたのだろうか。……
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