他責思考をなくすためには(週末日記#23)
他責思考とは「他人や周囲の環境に物事の原因や理由がある」とする考え方である。この考え方は自分を守るためには良いが、成長という観点から見ると好ましくない考え方だ。
今回の日記は自分がどうすれば他責思考を克服できるのかを考えるために書くものだ。
自分が思考に費やした時間が誰かのためになれば幸いだ。
他責思考の欠点
個人的に他責思考というのは、よっぽどの聖人でない限り、誰もが持っている考え方の一つだと思う。外的要因に基づいて結果や評価が変わってしまうことは事実存在するし、他責思考を無くしたいからといってその性質自体を否定するわけではない。
しかし、僕がこの考え方で好まない部分は「変えられない自分以外のものに執着している」という点だ。
自分ではなく周りの人や環境が悪かったから、と思うのは簡単だし、それが正解の場合も多くある。だが、その事実を認識するだけの行為は、自分の成長という目線で考えた場合、何も意味をなさないと思う。
さらに砕いていうならば、他責思考は自分の成長の機会を遠ざけているようにしか感じられない。これが僕が考える他責思考による唯一最大の欠点だ。
自責思考が正しいのか
他責思考の反対、すなわち「自分の中に物事の理由や原因がある」とする考え方のことを自責思考という。
僕は他責思考を避けるからと言って必ずしも自責思考になるべきとは思わない。失敗や成功の原因、要因が何であれ、それに執着せずにただ現実を受け止めて自分の成長機会のことだけを考える、というのが自分にしっくりくる考え方だと思っている。
例えば、サッカーの試合で自分が点数を決めて勝っても、その試合全てを通して成長機会はあるだろうし、キーパーの明らかなミスで負けたとしても同じだろう。
すなわち、成長機会は結果に密に関わりのある因子だけに限らずあなたの一つ一つの行動、考えから見つけ出せるものだということがここで言わんとしていることだ。
結果や評価はわかりやすい指標で、それらに基づいて自己評価をしてしまいがちだがそれだけではないことは認識しておく必要がある。
他責思考を排除するための習慣
損であるという認識
では、他責思考をできる限り自分の中から排除し、どんな経験をも自分の成長に繋げるには何が必要か。
一つは単純ではあるが、「他責思考は自分にとって損である」ということを認識することだ。前述したように、外的要因にだけ責任転嫁していると、自ら失敗を克服できないことになりなん度も同じことを繰り返す。
人間では変えることのできない天気を例に挙げてみる。人は外にいて、いきなり降ってくる雨をなん度も経験するはずだ、他責思考であれば「自分が濡れたのは天気が悪い、自分が反省すべき点はない」と考えて一生雨に打たれ続ける人生を送るだろう。
これは極端な例になるが、他責思考の根本的な考え方はこれだ。変えること、変わることができない天気と、変わろうとしない人が合わさることによって、永遠に雨に濡らされ続けるという不幸が生まれている。
他責思考の人間は外部が変わってくれることがない限り一生同じ失敗を繰り返し続ける、ということだ。これを認識しているだけで、普段、他責思考に気づいた時に「変えようという努力」ができるようになるだろう。一朝一夕で変わるとは思わないが、長い目で見るとその小さな努力が(根本までとは言わないが)考え方を変え、いずれ自分の大きな成長につながるのだと思う。
目指したいと思える人との出会い
二つ目として、この「認識」をさらにしやすくしてくれるのが、「人との出会い」だ。これは万人にできる方法ではないが、少なくとも自分の周りに、ある人との出会いによって、自分の考え方が良い方向に変わり、それが変わることで人生も望む方向に進んだ人が数人いる。
出会うべき人の条件として、まずその人が他責思考に頼っていてはならない。次に、自分が心から尊敬していて自分もその人のようになりたい、と思えなければならない。
これは容易なことではないが、そのような人がもし周りにいるとすれば、自分の欠点が見えた時に、「あの人ならどう行動するだろう、考えるだろう」と比較することができる。そのように比べることによって理想と現実とのギャップをわかりやすく認識できるようになる。
その時に注意すべきことは、あくまでギャップを認識して改善するために比較するべきであって、その比較によってネガティブな感情が生まれてはいけない。そのような感情が生まれているとすれば、それは自分の能力を自認していないということだ。他責思考とはまた別の問題だが、これについては以前記事を書いたのでそちらを参考にしていただきたい。
二つに分けて説明してしまったが、結論として、他責思考を自認することが最も大事だ。その次にそれを改善する必要がある。そのための比較対象を憧れの、自分が目指したい人にすることができれば、さらに認識しやすくなる。その人と時間を共に過ごし、考え方や行動原理などを理解すればするほど明確になっていく。これが僕が他責思考をなくすために日々頭の中で行っている習慣だ。
締め
長距離を走ったり、トライアスロンの練習をしていたりするとこの他責思考を如実に認識できるようになる。特に以前出場した山の中を20km走るレースで強く感じた。突然降ってくる雨や、どろどろな足元、全て変えることのできない因子によって自分のレースタイム、結果が変わってしまうという環境にいたが、それを自然の責任にしたところで何も意味をなさない。時間内にゴールするということだけを考えて、自らを変えるしか方法はなかった(そこまで切羽詰まっていたわけではないが)。
もし、自分に他責思考なのかどうか分からない、もしくは絶対に違うと思っている人がいれば過酷なレースなどに出てみると良いと思う。人は自分がピンチになる程欠点が浮き彫りになるものだから。