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小説×ファッション#3 夏目漱石-三四郎

新型コロナウイルスの蔓延により街に出られる機会が減り、好きなファッションを身に纏って街を闊歩するという楽しみがなくなった昨今。家の中でファッションを楽しむ方法を模索する中、小説の世界観や登場人物の醸し出す雰囲気を自らの感性で汲み取り、それに合う服装をイメージし、身に纏うことで小説の世界に没入体験をするのはいかがであろうと考えた。虚構の世界と現実世界が融合する、小説×ファッションという新ジャンル。

第3回目は夏目漱石著、『三四郎』。日本におけるトレンディロマンスの元祖として日本の文学界に君臨し続けるこの作品は、熊本という田舎町から大学進学を機に上京することになった小山三四郎23歳を主人公として物語を展開する。その三四郎が東京へ向かう電車の中で出会った女性と中継点名古屋にて一夜を過ごすことになるといった衝撃の展開から物語は幕を開けるのだが、その衝撃的なオープニングから出オチすることなく、大都会東京で出会った里見美穪子という妖艶な女性との出会い、野々宮宗八をはじめとした登場人物との複雑な人間関係、揺れ動く登場人物の心など様々な要素が小山三四郎という純粋で愛すべき人物のユーモラスな描写とともに綴られていく。

「すまんことだがこの半月あまり母のことはまるで忘れていた。きのうからきょうへかけては時代錯誤だの、不二山の人格だの、神秘的な講義だので、例の女も影もいっこう頭の中へ出てこなかった。」-4章の描写

勉強、恋愛、都会での新しい生活などさまざまな要素が複雑に、だがいい塩梅で入り組んでいくからこそ、読者はその世界観にひきこまれていくのである。

「stray sheep-迷える子羊」

美穪子が作中で発したこの言葉のように、青春期とはまさに迷える子羊のようである。生きることの美しさ、思い通りにいかない人生の残酷さ、そのような両極端の感情が交互に渦巻き、目の前で今何が起こっているのか、自分が何者であるかわからなくなるのが思春期というものである。それは青春時代が大人と子供の狭間であるからであり、そういった経験を積みかねることで、人は少しずつ大人の階段登っていくのであろう。

『女は紙包みを懐へ入れた。その手を吾妻コートから出した時、白いハンケチをを持っていた。鼻のところへあてて、三四郎を見ている。ハンケチをかぐ様子でもある。やがて、その手を不意に延ばした。ハンケチが三四郎の顔の前へ来た。鋭い香りがぷんとする。「ヘリオトロープ」と女が静かに言った。三四郎は思わず顔をあとへ引いた。ヘリオトロープの壜。四丁目の夕暮。迷・羊。迷・羊。空には高い日が明らかにかかる。』-終盤の一節

ある時には当たり前に思えているのだが、一度失うと二度と帰ってこない。その境目は自分ですら分かり得ないのである。だからこそ青春は儚く、美しく見える。そのような誰もが持ち得る美しい感情を、ピュアで真っ直ぐな三四郎の言動は私たちの心の奥底に漬け入り、リアルな感情を引き戻してきてくれるのだ。

このような「境界」という言葉の意味を強烈に意識させられる服を提案するブランドがある。日本人デザイナーである阿部千登勢が手がける「sacai」だ。その中でもとりわけ三四郎の世界観に合うと思われるのが2021年ssシーズンのショーである。

sacai 2021ss

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このシーズンにもsacaiのクリエイションの核をなすハイブリッドは健在であり、トップス、パンツといった従来の境界だけでなく一つの服のピースの中にいくつもの境界が存在する。1枚目のようなテイラードとデニムといった、ドレス、カジュアルという両極端に位置する要素を一枚の中に存在させてしまうそのクリエイションは大胆でありながらも、調和が取れている。その様はまさに三四郎のストーリー展開を思わせる。

しかしながら、当シーズンは前シーズンまでのクリエイションと比較してハイブリットを全面に押し出したピースが明らかに少なくなった。代わって台頭してきたのが2枚目に見られるような大胆なドレス表現、3枚目のようなブラトップである。コロナ禍で新しい生活様式が確立していく中、着心地の良い服装が重視される潮流が台頭したり、はたまたこんな情況であるからこそ思いっきり着飾ってやろうというような潮流が台頭した。このような新しい時代の流れも組んだ上での提案をも同時になし得るのがこのブランドのすごいところだ。ここに見られる、「時代を捉える」つまり「境目を捉える」動きは、ファッション史という大きな視点で見た際に、境界というものを表現したクリエイションだと初めて分かり得るのである。

青春というものは捉え所がなく、境目がいつなのか分からないということを前述せたが、これはコロナウイルス蔓延に伴う新しい生活様式にも同じことが言えるであろう。人との関わりが制限され、常にマスクの着用を強いられる生活は初めは戸惑いを生み出したものの、いつの間にか人々はその生活に順応し、新しい「常識」として捉える。いつだって新しい時代の始まりは知らぬ間にやってくるのである。そういった「境界」という曖昧なものを捉えるという点で夏目漱石と阿部千登勢の創造物は共通性を持つと私は考える。

また、当シーズンのショーについて考える際、会場のムードは外せない点であろう。ショーの会場であった神奈川県小田原市の江之浦測候所では雨が降り頻る中、イギリス人アーティストsadeによる処女作「Kiss of Life」が流れていた。現代美術作家杉本博司によってデザインされたその場所は日本の伝統文化と自然の調和が体験できる場所であり、そこに折り重なる雨、ミュージックという諸要素が空間の幻想性を演出していた。そのショーにおいて重要な一部を担った「Kiss of Life」について注目してみる。

「When I was led to you
 I knew you were the one for me
 I swear the whole world could feel my heartbeat」

処女作らしくこの作品は純粋でピュアな歌詞で構成されている。その歌詞は愛するということの素晴らしさ、恋をするドキドキ感を表したようで三四郎の恋模様を彷彿させる。一方でメロディに関しては、ベースやトランペットからなるジャジーで洗練されたメロディが都会的な印象を演出する。この相反する二つの雰囲気はまるでピュアな恋心を抱く三四郎と世の中の構造に折り合いをつけ、自らの人生を営んでいく美穪子の成熟した雰囲気の二人を演出しているかのようだ。

sacaiの洋服に加え、そのショーを演出する一助となったsadeの「Kiss of Life」も同時に堪能してみてはいかがであろうか。

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