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<あなたへの証し>~第1の書 『教会への道(1963年4月~2006年10月)』~<第2章『出会い・キリスト教に戦いを挑む』(1)>


 「なんで男性は女性を、女性は男性を好きになるのか?」 

 「なんで悪い事をしている奴に腹を立てながら、自分は悪い事をして見たいと思うのか?」 

 「なんで生まれて来たのか?」

 「なんで死ぬために生きているのか?」 

 「何をするために生まれて来たのか?」 

 「なんでこれだけやっても結果が出ないのか?」

 「なんでこんなに働かないと生活できないのか?」

 「なんで悪い事をしていないのに辛い思いをするのか?」

 「なんで悪い事をしている奴が大金を手にするのか?」 

 「なんで青天井で毎年毎年営業目標を上げていくなんて無茶な事をするのか?」 

 「なんでいつも漠然とした未来への不安をいだいているのか?」

 「なんで満足し続けられないのか?」 

 「どうやったら、幸せになれるのか?」

 これら、すべてを説明できる、すべてに明確な答えを示すことの出来る『真理』があるしょうか?もしあるなら、知りたくないですか?僕は知りたかったのです。小学生の時に抱いた思いは、23歳で社会にでて、様々な社会経験を重ねて40歳過ぎるまで、決して忘れる事はありませんでした。

 しかし、幼いころ思った、『教えてくれない大人』『理解できないことがある大人』の年齢に僕がなってしまったことを認識した時、その答えを見出せない現実を前にして、僕は「そんな真理ないのかな・・・」「あるとしても僕が出会うのは無理なのかな・・・」とあきらめる気持ちが芽生え始めました。

 そんな時に、僕は神様に出会いました。『イエス・キリスト』と『キリスト教』に出会いました。

 『神様』という言葉は、あまりにも有名です。『イエス・キリスト』という歴史上の人物の名前も世界中の人が知っています。『キリスト教』も有名な宗教です。ですから、実のところ僕も初めて出会った、というわけではありません。初めてどころか、正直言うと、それまで僕は宗教は嫌いだし、特にクリスチャンと呼ばれる人々が大嫌いでした。軽蔑していたくらいです。なぜなら「この人たちは、祈るだけで何もしない。自分が祈って、自分がいい思いができればいいと思っている、自分勝手な人たちだ。」と思っていたからです。

(了)


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