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Message(011)『人生初の交通事故』

一昨日、人生初の交通事故にあいました。といっても命に別状があるわけでもなく、骨が折れたわけでもなく、かすり傷程度の事故でした。

自転車で軽快に忠州市内を走っていたら、脇から小型の自動車が出てきて出会い頭にドン!でした。

僕はぶつかる一瞬に「あれ!こりゃよけ切れない。やばいな、轢かれる。自転車にしがみついていたら脚とか巻き込まれるかも。車の動きに逆らわず少し大げさにでも吹っ飛んだほうが安全そうだ。お!来た!」なんて考えて、少し大げさに飛んで(ジャンプしてはいないだろうけど)、ちょうど柔道の受身を取るような感じでもんどりうって、ぺたんと座り込むことできました。

「骨、異常なさそう、頭も打っていない、痛いところは、胸から右のわき腹にかけてヒリヒリするな、あと右肩も少し、でも大丈夫!」「でも待てよ、自転車は大丈夫かな?」そんなことを一人で考えていたら、車から女性が降りてきました。ちょっとしたパニック状態だったので、まずは「ケンチャナ、ケンチャナヨ」と言って(これは言えた)、多少は落ち着いてもらって、自転車を車の下から引き出しました。すると、前輪がひしゃげて自走不能の状態になってしまいました。さあ困りました。

言葉が通じないのです。相手はとにかく謝っています。「大丈夫ですか?どうしよう!」って状態です。僕はとにかく「体は大丈夫ですよ。でも自転車は借り物だし、直らないと帰れないから、今時間があるなら、直して欲しい、でなければ、家まで送っていただけませんか?」いろいろ手を尽くして、なんとかそれを伝えて、周りの商店の方々の助けもあって、すぐ近くの自転車屋さんへ行くことになりました。

彼女は多分このあと用があったのでしょう。本当に困っている様子でした。でも何度も僕に「ごめんなさい、ごめんなさい」と言うのです。行きすがら電話で話している様子をみていたら「アッパー」と聞こえたので、きっとお父さんと話をしているのだと思いました。「パパ、どうしよう、事故っちゃった。相手は自転車に乗った日本人、これから壊しちゃった自転車修理してくる」みたいなことを言っていたのだと思います。僕は修理がすんだら、もうすぐに彼女を解放してあげなくちゃ、と思っていましたが、修理を待っている時にちょっと擦り傷が痛んで胸を押さえたら、「痛いんですか?ちょっと見せてください」みたいな感じだったと思います。破れたTシャツをたくしあげると、まあまあたいそうな擦り傷が姿を現し、彼女はびっくりして「病院いきましょう!」となってしまいました。

結局、ことばの通じないまま病院に行き、治療を受け、その間に彼女は帰った様子でしたが、なんとか無事に自転車を受け取り、帰ってくることができました。

さて、僕は、何度か、韓国に来て触れた『愛』のことを投稿しましたが、今日は別の側面から人の『心』に触れさせてもらえたと思います。

多くの人が、自分が何かまずいことをしてしまったら、自分をできるだけ悪くないように、自分の行いのどこかに少しでも正当性を持たせようとするものです。また、このような自動車の事故の場合、怪我などほとんどしていなくても、「当てられた」側は、正当性の塊のようになって、もうまるで鬼の首でもとったようになるのが日本です。だから、なおさら責任をのがれようと考えます。僕は昔自動車の販売の仕事をしていたので、そのような場面には何度も遭遇していますし、当事者(当てた側)になったこともあります。何ヶ月にもわたってお金をせびられた経験もあります。事故の多い場所の近くにある整形外科医などは、「少しでも痛みがあるのなら、絶対に示談書にサインしてはいけませんよ」とか「車の事故は謝ったら負けですよ」などとアドバイスする始末です。はっきり言って、日本の場合、事故がおこると責任の擦り合いをするわけです。そういう僕もかつてはそのような者でした。

でも、彼女は違いました。言葉が通じなくてもわかるのです。ぶつけてしまった相手を本当に気遣い、本当に心から謝り、当事者として出来る限りのことをしてくれたのです。僕は感謝こそすれ、恨むとか、怒るとかの気持ちは一切わいてきませんでした。逆に「申し訳ないなあ」という気持ちにさえなりました。擦り傷は痛いけど、でも嬉しかったなあ。

それにしても、病院ではモルモット状態でしたね(笑)。擦り傷を消毒してガーゼを当てるのに、4~5人の医学生がワッと集まってきて、僕を取り囲んで、ワイワイ僕の体でやっているのがおかしくて笑っちゃったのですが、あれ、怒る人もいるんじゃないかなあ。

(了)

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