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Message(005)『幸せ』

「幸せは、気がつかないだけで、すぐ近くにある」

よく耳にします。果たして『幸せ』は、近くにあるのでしょうか。

人間にとって、まことの『幸せ』とは、どうなることでしょうか?

物欲が満たされること?

好きな人と結婚すること?

仕事で成功すること?

見解は色々とあると思います。

僕は、こう思います。

「まことの『幸せ』とは、製造目的の通りに生きること。」

人間は猿から自然に偶然に進化したものでもないし、猿と同じ先祖を持つものでもありません。人間は最初から人間として造られました。ということは、造られた目的があるのです。

僕たち人間には、ひとりひとり存在の目的、存在の理由があります。ですから、その「目的通りに生きること」こそが『幸せ』であると思うのです。

ですから、「幸せはすぐ近くにある」、と言うよりも「幸せは自分自身の中にある」、と言えるのではないでしょうか。つまり、自分の中にインプットされている、存在目的、存在理由を見いだすことが『幸せ』であると思います。

これは、本来性において、人間は主体性を持って生きることはできない、と言うことではありません。人間には、自由意志があります。その自由意志によって、自身の存在目的、存在理由通りの人生を選ぶ時に、最高の幸せを感じるように造られている、ということです。

ここで問題なのは、「では、どうやって存在目的、存在理由を知るのか?」ということでありましょう。

それは、創造主のみこころを知ることです。創造主たる神様が自分に何を望むのか、岐路に立った時、どの路を選べば神様が喜ばれるのかを知ることです。

そのために、僕らに必要なのは「祈り」です。祈りによって、神様に「求める」ことです。

すると、神様は、僕らに語りかけてくださいます。「聖書のみことば」を通して、「牧師のメッセージ」を通して、みこころを語ってくださいます。

もっともっと神様を知り、もっともっと霊的な分別力を養い、みことばを正しく理解し、みこころを間違いなく受け取ることができますように。

『求めなさい。そうすれば与えられます。捜しなさい。そうすれば見つかります。たたきなさい。そうすれば開かれます。(マタイの福音書7:7)』

(了)

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