冬の田園【エッセイ】
まだ夜気を残した朝は霞がかっていた。その霞は向こうの林の頭を、油絵の具を塗りたくったように輪郭をぼかし、それがまた恐ろしさを引き立てていた。あたり一面には田圃が敷かれているが、もう稲は全て刈り取られていて、役割を終えていた。私がその時目にした一帯の風景は殺伐と呼ぶのがふさわしいだろうが、しかしながらその枯れ果て朽ちる草木を見ていると不思議と安堵した心持ちを受けるのだ。田は何年も何年も同じようなサイクルを以て苗を育てては稲穂をめぐらしまた朽ちるという円環の理の中に生きているのである。
俄かに甲高い声が聞こえた。
見上げると4・5羽の白鳥が十の字に並んで飛んでいたのだ。この村をまたぎ、もう一つ隣の村へ行けば大きな湖があり、周辺の田圃に餌を求めながらその周辺に滞在するのだろうと思っていた。毎年冬になると、私たち兄弟は祖父の運転する車に揺られ、その湖へ向かっていた。(今思うとだめだったのではと思うが、ちぎった食パンを持っていったこともある。)
あくびをしたので白い息が立ち込め、たちまち周りに吸い込まれるように消えていった。早朝の景色と眠気から、どこか夢見心地だった。その日は、苗を育てるために使用するビニールハウスのビニールを取り外し骨組みだけの状態に戻す作業、つまり稲作においては仕事納めのようなものである。そう思うと、「御手伝い」とはいえ、幼少ながらもどこか寂しさと不思議な安堵があったことを今でも覚えている。
午前6時、冷え切った冬装備はもう少し待てば、体温に慣れるのでしばらくの辛抱が求められる。
もうすぐこの地にも雪が降り、やがてこの地は一面真っ白な画用紙を新たに敷くように一掃され、無に帰されるのだろう。雪催いの夜寒がもたらす高揚感と、雪景色を以て実感する冬の訪れの趣は、二十歳を迎えてもなお変わらず覚えうるだろうと思った。
私は1枚の写真を閉じた。それはまだ緑が残る森林と広々とした田畑が収められている一葉の写真だった。その写真を見ると不思議とあの冬を思い出すのだ。
もうすぐ東北に冬が来る。