八重山のミルクさん
八重山諸島のちょっとコミカルな弥勒菩薩
ミルクさん。
沖縄本島のさらに南に八重山諸島があります。石垣島があり、竹富島があり、西表島があり、一番南には波照間島があります。この八重山諸島全域に、「ミルク神」と呼ばれる仏さんがいます。親しみを込めて「ミルクさん」と呼ばれており、誰からも慕われていて、めっちゃ人気があります。
海の向こうの異世界からやって来た来訪神で、五穀豊穣をもたらす存在として知られています。その意味では、えべっさんに似ています。
仏教では、お釈迦さんが亡くなって2,000年が経つと、仏の力が薄れ、効力が効かなくなる「末法時代」に突入すると言われています。
そんな末法の時代にやって来て人々を救う存在が、弥勒菩薩と言われています。56億7000万年後に現れて、多くの人々を救済するのです。
その弥勒菩薩が、八重山諸島では、少しコミカルな姿になり、「ミルクさん」として存在しています。
西表島のミルクさん、波照間島のミルクさん、黒島のミルクさん、那覇にだっています。
残念ながら、仏像としてのミルクさんは存在していなくて、すべて仮面、そして着ぐるみというか、コスプレというか、変装した姿で、祭りなどに登場します。
石垣島の八重山博物館には、桐の箱に入ったミルクさんの仮面が展示されています。
弥勒菩薩といえば、京都の広隆寺にいらっしゃる弥勒菩薩半跏思惟像のように、神秘的でしゅっとした姿が思い浮かびますが、八重山のミルクさんは、コミカルで、世俗的な雰囲気を醸し出しています。
布袋さんに似ていると話す人もいます。京都・宇治の萬福寺の山門には布袋さんがいますが、比べてみると、よく似ています。 それもそのはずで、布袋さんというのは、じつは弥勒菩薩の化身だと言われているんです。
だから、沖縄の弥勒菩薩のミルクさんが布袋さんに似ていても、不思議ではないということです。
ゾロアスター教のミトラが弥勒菩薩となり
中国で布袋さんと同一視され
八重山でミルクさんとなる
弥勒菩薩は、インド神話ではミトラ神として登場します。さらに古いゾロアスター教では 英雄神・太陽神として祀られている神で、古代ギリシャやローマにも持ち込まれ、ミトラ スと呼ばれる神となり、初期キリスト教で人気のある神の1人となりました。
仏教では釈迦の入滅後56億7000万年後に現れるとされ、ゾロアスター教では英雄神なので、メシアニズムの一種です。つまり救世主的な色合いが強い存在で、だからこそ、初期キリスト教とも親和性が高かったのだと思います。キリスト教では、十字架にはりつけられたイエス・キリストが最後の審判の日に復活します。これもまた、メシアニズムそのものですね。
そんな弥勒菩薩も、中国に伝来すると、とても人間臭い姿をした布袋さんになります。
布袋さんは、唐の時代の終わりに中国に実在した人で、素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたといいます。
心の大切さを説いた人で、この人がいつしか、弥勒菩薩と同一視されるようになりました。
京都の広隆寺では、シュッとした弥勒菩薩半跏思惟像。
中国直系の宇治の萬福寺では、ボテっとした布袋さん。
そして南の八重山に行くと、弥勒がなまった「ミルクさん」となります。
一方で、沖縄にはもともと、東の海上に神々が住む「ニライカナイ」という場所があり、神々がそこから地上を訪れて五穀豊穣をもたらすという考えがあります。
インドのミトラ神が弥勒になり、中国で布袋となり、沖縄のニライカナイ信仰が合わさって習合したものを、八重山では、「ミルクさん」と呼び、慕っているわけです。
ミルクさんは、そんなに古い存在ではなくて、
1700年代末に登場したと言われています。江戸時代後期です。
八重山諸島の黒島の役人が公務で沖縄の首里に向かう途中、遭難して、ベトナムに漂着しました。
その際、当地でおこなわれていた豊年祭で祀られていたミルクに感激し、仮面と衣装を譲り受けて、持ち帰ったのが最初だそうです。
それが急速に広まり、琉球から八重山各地の豊年祭に、ミルクさんが登場したと言います。
そういえば、ミルクさんが着ている黄色の服は、ベトナムの僧侶が着る僧衣の色ですね。
仏像にはならず、アイコンとして大人気のミルクさん
でも、仏像にはなりませんでした。フィギュアとなって祀られる存在にはならずに、祭りの際に誰かが仮面を被り、人が神さまに成り代わり、そしてまた人に戻る、という存在になりました。
そう考えると、ミルクさんは、わりと切ない存在です。 仏像にはならなかったけれども、切なさゆえに、コミカルな愛らしい姿ゆえに、このお方は大人気で、今ではいろんな雑貨になり、Tシャツになり、着ぐるみになり、アイコンになっています。
今から半世紀以上前の1965年、波照間島に1年以上滞在したスイス人の文化人類学者であるコルネリウス・アウエハントが残した記録集が手元にあるのですが、表紙がすでにミルクさんです。
これを見ても、ミルクさんが人気者だったことが分かるというものですね。
以上が、南の島で人気の仏さまであるミルクさんでした。