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弥勒菩薩と日想観
仏教では西方に浄土があると考えられています。
同時に、西方は死後の世界、常世の世界があるとも考えられています。
その西方には、「釈迦の死後56億7千万年後の世に降りてきて釈迦に代わって人々を救う未来仏」である弥勒菩薩が降り立つとされています。
京都は広隆寺にいらっしゃる弥勒菩薩半跏思惟像は、ご存じの方も多いと思います。
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花郎(ファラン)のこと
この弥勒菩薩半跏思惟像は百済様式だと言われています。
さて、半跏思惟像は、じつは、新羅でつくられたものがほとんどで、6世紀後半から7世紀にかけて新羅でのみ流行した弥勒信仰を表現したものと言われています。
それなのに広隆寺のものは百済様式と言われています。なぜでしょう?
この時代、日本では聖徳太子の時代です。そして、半跏思惟像も、聖徳太子7寺のうちの6つの寺で本尊とされています。
太子と百済とのあいだに、強い結びつきがあったのでしょう。
このへんを辿っていけば、新羅と百済のふたつの潮流が日本の歴史の根底に影を落としていることが見えてくるかもしれません。天智天皇と天武天皇とかね。
さて、弥勒菩薩と聖徳太子といえば、花郎(ファラン)が頭に浮かびます。
花郎(ファラン)とは、新羅の青年貴族による武装集団と言われているものです。今でいうところの、秘密結社めいたフリーメーソンのようなものです。
白村江の戦いで日本と百済の連合軍をうち破ったのも、花郎(ファラン)だと言われています。
弥勒は、釈迦の入滅後、56億7千万年後に地上に現われて、私たちを救済すると言われる未来仏ですが、その信仰が、弥勒の化身としての花郎(ファラン)に託され、民衆に支持されたと言われています。
花郎(ファラン)というのは、美しい男性という意味で、段階を経て弥勒仙花という位に就くのだけど、それは実際に美しい青年に限られたと言われています。
弥勒仙花とは、ゾロアスター教の救世主であるミトラを指します。当時、大陸には、仏教とともにミトラ教や景教(ネストリウス派キリスト教)が伝来していました。
山岸涼子の名作『日出処の天子』に、花郎(ファラン)のことが一瞬だけ出てきます。
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弥勒菩薩のこと
56億7千万年。
この気の遠くなる年数は、弥勒の兜率天での寿命が4000年であり、兜率天の1日は地上の400年に匹敵するという説から、下生までに4000年×12ヶ月×30日×400年=5億7600万年かかるという計算に由来します。そして、後代になって5億7600万年が56億7000万年に入れ替わったと考えられているようです。
兜率天というのは、仏教の世界観における天界のひとつです。
兜率天には内院と外院があり、内院は、将来仏となるべく修行をされている菩薩が住む場所とされており、現在は、弥勒菩薩が内院で説法をしていると言われています。
そんな弥勒菩薩が兜率天からこの世の下生してくるのが、釈迦の死後56億7000万年後。
ちなみにウルトラマンのM78星雲は地球から300万光年離れていて、計算すると2490万年なので、弥勒の56億7千万年後とは比べものにならないです。
日想観のこと
大阪は、明日香から見て西に位置します。つまり、死者の世界であり浄土。だから大阪には古墳が多いわけです。古代人にはそのような感覚があったのだと思います。
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大阪には四天王寺を中心に「日想観」という信仰があります。
日想観とは、西の空に沈む夕陽を見つめ、朱く染まった空に極楽浄土を想うだけで観音さんの教えを体感することができるというものです。
そこは先人たちが帰っていった世界であり、やがては自分も帰っていく世界です。
海のない京都や奈良の人たちにとっては日想観は魅力的だったのだと思います。
そんな日想観の信仰の中心である四天王寺は、大阪の死生観の本拠地でもあります。
四天王寺や四天王寺七坂は今でも夕陽の名所だし、阿部野橋から我孫子筋に落ちる夕陽を見る時間は、とてもいいものです。
5月になれば、この景色を見ることができます。
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今ではそこに何が建っているでしょうか?
万博やIRの会場となる夢洲があります。夢洲は浄土か? 土壌改良に莫大なカネがかかる浄土ですね。
万博は浄土に降り立った弥勒菩薩か? 56億7千万年後に弥勒が降り立つのが先か、南海トラフが動いて津波が襲うのが先か。
万博やIRを推進している政治家にも役人にも、そういう視点を持った人を見たことがありません。
万博は、「いのち輝く未来社会のデザイン」がテーマだそうです。しかし、死生観抜きに考える命ってなんだろう?
メメント・モリ。ラテン語で「死を忘れるな」という警鐘の言葉があります。
際限なく発達する文明に対しての警鐘の言葉です。
死生観を伴わない「いのち」ってなんだろう?
夕陽を見つめながら、そんなことを思います。
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