法によって侵害できない権利
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このブログでは、2019年7月にうつ病を発症し、それをきっかけに同年12月からブログを始めて、それ以降、700日以上毎日ブログ更新してきた、しがないサラリーマン弁護士である僕が、日々考えていることを綴っています。
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【 今日のトピック:森林法違憲判決 】
近代社会では、民主制(デモクラシー)が正義とされています。
民主制とは、多数決です。
たった1票差でも、賛成多数となれば、1票差しかない反対派を完全に否定していい、というのが「民主制(デモクラシー)」です。
この民主制の弊害は、2500年前の古代ギリシアで既に指摘されていて、ソクラテスの弟子であるプラトンは、民主制によってソクラテスが死刑に処せられたことを恨み、「哲人王」による独裁を目指すべきだと説きました。
ソクラテスの孫弟子に当たるアリストテレスも、王制または貴族制を目指すべきと考えており、民主制には反対していました。
僕も、民主制が常に正義とは思いません。
代々受け継がれてきた王制による支配がいいのかもしれません。時代の変化が遅い時代であれば、代々政治のやり方を受け継いできた王族による支配が、民主制よりも、きちんと政治をしてくれそうです。
ただ、時代の変化が早い時代も、民主制だと、変化に追いついていない大多数の意見が優先されてしまうので、この意味でも、時代の変化に追いついている人たちによる独裁のほうがいい気がします。
結局、独裁のほうが、民主制よりもいい感じがするんですが、独裁者も人間なので、私利私欲があります。
私利私欲を自覚していればまだいいんですが、独裁者本人が「国民のため!」と思っているにもかかわらず、実態は「私利私欲」でしかないとなると、目も当てられません。
こういう感じで、独裁者もまた人間なので、完全な滅私奉公は不可能で、そういう意味で、結局民主制を選ぶしかないのかなと(今の価値感では)思います。
じゃあ、民主制という正義のもと、国会の議決によって承認された法律は、必ず正しいかというと、そうではありません。
僕ら弁護士には、法律でも侵害できない権利がある、ということを「憲法」という科目で学びます。
日本では、「法律が憲法違反だった」、つまり、「法律でも侵害できない権利を法律が侵害してしまっていた」という例が、めちゃくちゃ少ないですが、存在します。
法律が間違っていたと、最高裁が認めた事案があるということです。
これが、端的に現れているのが、森林法の判決です。
森林法の判決って、「法律によって侵害できない権利」をストレートに認めた、めちゃくちゃ画期的な判決です。憲法の勉強においては、間違いなく、重要度はトップ10に入るでしょう。
どういう事案だったかというと、森林法で、共有物分割請求を制限していることが問題となりました。
「共有物分割請求の制限」という、意味不明ワードが出てきましたが、そんなに難しくありません。
まずは、「共有物分割請求」ですが、これは、その名の通り、「共有物」を「分割」する「請求」です。
そもそもですが、日本では、「共有」というのが認められています。
例えば、200万円の自動車を、2人で100万円ずつ出し合って購入し、納車された自動車を、2人の「共有」とする、なんてのが典型例です。
自動車は、お金を出した2人の共有ですから、2人が、それぞれ運転することができます。しかし、一方の共有者に無断で売却することはできません。
売却するには、2人とも了承する必要があるのです。
こういう感じで、「共有」だと、自分の所有権であることは間違いないのですが、売却に他人の同意が必要となったりして、所有権として多少不十分な面があるので、共有状態を解消する手段が法的に用意されている必要があって、それが「共有物分割請求」です。
つまり、「共有」という制度を採用したものの、共有者は、いつでも、「共有」から離脱できることが法的に担保されていて、だからこそ、安心して「共有」になることができるのです。
そういった、共有に対する「安心」を提供しているのが「共有物分割請求」なので、そんな簡単に制約されてはいけません。
しかし、かつての森林法では、森林が共有となった場合に、持分2分の1以下の共有者からの共有物分割請求を禁止していました。
つまり、過半数の持分がないと、共有物分割請求ができなくなっていたんです。本来、共有物分割請求に持分の制約はないのに、です。
100分の1だろうが、1000分の1だろうが、持分が少しでもあれば、共有物全体について、共有物分割請求できます。
(ちなみに、「共有物分割」のやり方は、交渉でもいいんですが、最終的に訴訟を起こすことが可能です)
本来、共有者には、共有物分割請求できる権利があったのに、森林法は、それを制約していたのです。
そして、最高裁は、共有物分割請求を禁止した森林法の条文を憲法違反と断定しました。
これはつまり、民主制という正義のもと、国会が賛成多数で可決した法律が間違っていた、つまり、「法律でも侵害できない権利を侵害していた」と最高裁が認めたことになります。
まあ、具体的に言えば、最高裁は、「法律でも侵害できない権利を侵害した」なら、すぐに憲法違反と断定するかというとそうではなくて、権利に制約を加えている法律の目的や理由に合理性があったかどうか、合理性があるとして、じゃあ、その目的を達成するための手段として、持分2分の1以下の共有者による共有物分割請求を禁止するというのは行き過ぎではないか、ということを検討しています。
だから、「法律でも侵害できない権利を侵害した!」という理由だけで、すぐに憲法違反!と飛びついたのではなく、目的と手段をかなり慎重に検討しています。
しかし、結局、「法律でも侵害できない権利がある」ということを認めたのは確かで、僕ら弁護士は、ここに思い至る必要があります。
弁護士は、法律のプロなのですが、法律がすべてと思っていてもダメなんです。
法律の間違いを正す役割も弁護士は担っていて、その役割を果たすには、法律だけ勉強していてもダメで、歴史や哲学などの教養が当然必要です。
僕も、まだまだ若いですし、体力的なタフさもないので、本当に教養が乏しいのですが、少しずつ少しずつ、蓄積していきたいです。
それではまた明日!・・・↓
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