#374 過払いの歴史:最高裁もサラ金の味方をした
どうも,こんにちは。
古田博大(ふるたひろまさ)です。
このブログを初めてご覧になる方は,はじめまして。
いつもご覧くださっている皆様,いつもアクセスありがとうございます。
僕は,1990年生まれで現在30歳。2017年1月から弁護士として働き始め,ちょうど2年半が経過した2019年7月10日にうつ病を発症し,それから今日までずっと休職しています。
うつ病発症からしばらくは,眠ったり食べたりすることもままならず,生きることそのものが苦しい時期が続きましたが,長い時間をかけて少しずつ回復することができました。今は,週2日の休みをはさんで毎日出勤練習(慣らし勤務)を繰り返しながら,復職への準備を進めています。
今年(2020年)の12月1日から,少しずつ業務にも携わるようになりました。具体的には,理論的な調査や簡単な法律相談を担当するようになりました。今のところ,仕事を理由に大きく調子を崩してはいません。
うつ病をきっかけに「自分も何か行動したい!」と思い,2019年12月から,この毎日ブログを始めました。とはいえ,このブログでは,うつ病に関することだけでなく,日々考えたことを自由気ままに書いています。
書きたいことがたくさんあって,文章が長くなってしまうことも多いですが,ブログの負担が大きくなりすぎてうつ病に悪い影響を与えないよう,書き始めてから1時間程度でアップロードすることにしています(#ほぼ毎日時間オーバーしていることはナイショです)
「書きたいがたくさんある」と「1時間でアップする」は両立が難しく,そのため,文章がつながっていなかったり,文章自体がわかりにくかったりと,弊害も多々あるんですが,どうしても「毎日ブログ」を続けたいので,毎日綱渡り状態ですが,アクセスしてくださる皆様のおかげで,今日までなんとか続けることができています(;^_^A
僕のうつ病の経過については↓でまとめています。
それでは,今日も書いてきます!
今日は「過払い」の話をします。
まあ,僕のブログを読まなくても,「過払い」について本気で知ろうとしている方は,自分でいろんなサイトにアクセスして,情報を収集されていると思います。
だから,今日の僕のブログは,そういった過払いの補足情報として捉えてくださるとうれしいです。
というか,今日説明しようと思っているのは,過払いの「歴史」なんですが,そもそも,過払いの「歴史」について興味がある人なんて,ほとんどいませんよね(笑)。
今この瞬間に,過払いの歴史について興味があるのは僕くらいかもしれません。弁護士の中にも,過払いの歴史について知っている人なんて,僕の世代(平成2年生まれ)が既に弁護士4年目となっているような時代ですから,どんどん少なくなっているでしょうし,そもそも過払いの歴史に対して興味すら抱かない弁護士が多いでしょう。
にもかかわらず,僕は過払いの歴史に興味を持っているわけですが,そのきっかけは,「伊東良徳」先生のホームページを発見したことです。
過払い金請求の歴史と現状 | 庶民の弁護士 伊東良徳のサイト
僕は,伊東先生と何ら面識はなく,勝手にインターネットで知っただけなんですが,この伊東先生のホームページは,本当に素晴らしいです。
弁護士以外の,法的知識のない方々向けではありますが,書いてある内容は,新人弁護士に役立つレベルです。
法的知識のない方を読者として想定しているので,書きぶりはものすごく平易でわかりやすいです。
僕も,いたるところを何度も読みました。とても勉強になりました。本当にありがとうございます。
伊東先生は,司法修習37期の弁護士で,弁護士となったのは昭和60年=1985年の4月です。現時点で35年以上の弁護士経験を積まれた大ベテランなのですが(しかも,その経験した事件には,有名な事件も多数含まれていて,その経験値はえげつないです),にもかかわらず,更新頻度がそれなりに高いのです。
いやはや,本当にすごいです。
あれだけの文章を,弁護士以外の方々向けに用意するなんて,膨大な時間が必要だったでしょう。
そういった膨大な時間をかけてホームページを作成し,無料公開してくださるなんて,本当にありがたいです。
おかげで,僕という弁護士がひとり,少しだけ成長しました。
さて,過払いの歴史です。
伊東先生のホームページで過払いの歴史について書かれたページを見ると,過払金請求が,現在のようにとても簡単に認められるようになった歴史が詳しく・わかりやすく書かれています。
その概要は,
①最高裁が過払金請求を認める
②過払金を認めない立法がなされる
③過払金を認めない立法が最高裁判決で骨抜きにされる
→現在に至る
といった感じです。
過払いの歴史について説明するには,そもそも「過払い」とは?というところから始めなければなりません。
「過払い」とは,その名前の通り,「払い過ぎ」を意味します。
「過払い」=「払い過ぎ」ということならば,「過払金」=「払い過ぎたお金」です。
「過払い」とか「過払金」と俗に呼ばれているのは,結局,「払い過ぎたお金を返してくれ!」ということです。
「払い過ぎ」ってどういうことかというと,「利息制限法」という法律があって,この「利息制限法」に書かれた利率を超えて利息又は違約金を払ったことを「払い過ぎ」と呼んでいるんです。
利息制限法に書かれた利率を超えて返済したから,「払い過ぎ」で,「過払金を返せ!」という話になるのです。
「過払い」というのは,こんなにも単純な話です。
利息制限法の利息を超えて払い過ぎたから返せ,というのが,「過払金請求」なのです。
この「過払金請求」が認められたのが,昭和43年(1968年)11月13日の最高裁判決です。
この最高裁判決からさかのぼること4年,昭和39年(1964年)11月19日に,利息制限法を超えて返済した場合には返済額が元本に充当されるという最高裁判決が既に出されていました。
払い過ぎたお金が元本に充当されるだけではなく,元本に充当された結果,余りが出たら,その余り(=過払金)は返してもらうことができる,と判断したのが,昭和43年の最高裁判決です。
今から50年以上も前の時点で,過払金請求は,既に最高裁レベルで認められていたのです。
この昭和43年の最高裁判決が,先ほど書いた①最高裁が過払金請求を認める,に該当します。
でも,過払金請求が,「過払バブル」と呼ばれるほどの流行を見せたのは,平成18年(2006年)以降で,最高裁で過払金請求が認められた昭和43年(1968年)から約38年が経過しています。
この38年の間,過払金請求はどうなっていたのでしょうか。
この38年間の過払金請求について,伊東先生のホームページでは,実体験をもとに詳しく書かれています。
ここでも簡単に触れておくと,伊東先生が弁護士になった昭和60年の2年前=昭和58年の11月1日から,「貸金業の規制等に関する法律」が施行されました。
この法律は,その名前に「貸金業の規制」と入っていますから,貸金業の規制を目的としていました。この法律が施行されるまで,貸金業は届出制で,貸金業の届出をすれば,誰でも貸金業を営むことができていましたが,それが「登録制」に変更されました。
その結果,貸金業を適法に営むには,登録の審査をパスする必要が出てきました。登録の審査を行うのは,大蔵省(現在の財務省)です。
「登録制」のほかにも変更点があって,それが,罰則を受ける金利の引き下げです。
「貸金業の規制等に関する法律」の前は,年利109.5%までの金利が罰則の対象ではありませんでしたが,これが40.004%まで引き下げられました。ちなみに,現在は,年利20%まで引き下げられました。
なお,貸金業者でない人が貸付けを行う場合は,現在も依然として,109.5%まで罰則の対象とはなりません。
こういった,貸金業者に対する規制のウラで,貸金業者に「メリット」も発生していました。
いわば「アメとムチ」です。登録制+罰則金利引き下げ,という「ムチ」と引き換えに「アメ」が与えられました。
それが,「みなし弁済」の規定です。
罰則の対象となる金利が引き下げられたとはいえ,その引き下げは,年利40.004%にとどまりました。その結果,貸金業者としては,利息制限法を超えて利息を支払ってもらう余地が引き続き残されていました。
ちなみに,利息制限法では
・10万円までの貸付け:年利20%まで
・100万円までの貸付け:年利18%まで
・100万円を超える貸付け:年利15%まで
と決められています。
この利息制限法の上限金利と,先ほど書いた罰則対象金利の差が,俗に「グレーゾーン金利」と呼ばれているものです。この「グレーゾーン金利」をどう処理するかについて,「貸金業の規制等に関する法律」に規定されています。その処理方法こそ,「みなし弁済」です。
「みなし弁済」って何かというと,
・貸金業者たちは,利息制限法を超えた金利をもらっても,それが罰則対象ではないことにかこつけて,公然と,利息制限法の上限を超えた利息も含めて弁済を受ける
・「貸金業の規制等に関する法律」に定められた要件(書面の交付など)を満たせば,利息制限法の上限を超えているにもかかわらず,適法な弁済となる,ということです。
つまり,「みなし弁済」によって,利息制限法が骨抜きになったのです。
「みなし弁済」がなければ,先ほど書いた昭和39年と昭和43年の最高裁判決によって,利息制限法の上限を超えた部分が元本に充当されたり,元本がなくなったら過払金が生じたりしますが,「みなし弁済」の要件が満たされると,こういったものが全部なくなってしまいます。
貸金業者の立場にたてば,「みなし弁済」は大きなメリットです。間違いなく「アメ」でした。
こういった,貸金業者にとって「アメ」である「みなし弁済」の規定を盛り込んだ,「貸金業の規制等に関する法律」が制定されたことこそ,先ほど書いた,②過払金請求を認めない立法,に該当します。
まあ,「貸金業の規制等に関する法律」があっても,「みなし弁済」の要件が欠けていれば過払金を請求できるので,「過払金請求を認めない立法」とまでは言えないかもしれませんが,過払金請求がめちゃくちゃ難しくなったのは間違いありません。
「貸金業の規制等に関する法律」によって,昭和58年以降,過払金請求は非常に難しくなりました。
しかし,潮目が変わります。平成18年(2006年)1月13日,③過払金請求を認めない立法が最高裁で骨抜きにされる,がやってきます。
この平成18年最高裁判決では,「みなし弁済」の要件のうち,「任意に支払った」という要件は,原則として満たさないと判断しました。つまり,貸付けの契約では,「期限の利益喪失約款」といって,滞納すると,元本・利息・違約金を含めて一括で返済しなければならないという項目がありますが,この契約項目があることによって,借主は返済を強制されていることを理由に,「任意に支払った」という要件は原則として満たさないと判断したのです。
この最高裁判決によって,これまで「みなし弁済」として適法とされていた,利息制限法を超える利息が,過去にさかのぼって全部違法となりました。
平成18年にこの最高裁判決が出された結果,「過払バブル」と呼ばれるほどの過払金請求がなされ,貸金業者は窮地に立たされました。過払金請求によって倒産する貸金業者も出てくる有様でした。
過払いの歴史は,こういう風に語られます。今は過払バブルも終わり,過払いによって大きな利益が弁護士にもたらされることはなくなりました。
しかし,平成18年の最高裁判決は今でも維持されていますから,バブルをもたらした過払いの仕組みは今も同様です。僕はまだ弁護士4年目ですが,その中でも,過払いは2度経験しています。
で,実は,ここからが今日の本題です。
↑に書いたような歴史観を踏まえると,最高裁=すばらしい,立法(政治家)=貸金業者の肩を持つダメな奴ら,という図式が見えてきますが,そう単純じゃありません。
実は,平成2年1月22日に,最高裁が,「貸金業の規制等に関する法律」に書かれた「みなし弁済」を正当と認めるような判断を出しているのです。
この平成2年判決でも,「任意に支払った」という要件が争われ,借主側の弁護士は,「任意に支払った」という要件を満たすためには,借主が,「自分は利息制限法違反の弁済をしている!」と理解していることが必要だと争いました。
この弁護士は,「貸金業の規制等に関する法律」に書かれた「みなし弁済」規定が,昭和43年の最高裁判決を骨抜きにしていると思って頑張ったのでしょうが,結果的に最高裁は,この弁護士の主張を退けました。つまり,借主が,「自分は利息制限法違反の弁済をしている」と知らなくても,「任意に支払った」という要件は満たされる,と判断したのです。
この最高裁判決は,期限の利益喪失約款を理由に「任意に支払った」を否定した平成18年の最高裁判決とはえらい違いです。
平成2年の最高裁判決でも,当然ながら,期限の利益喪失約款はあったでしょう。しかし,それに一切言及せず,「任意に支払った」は満たされると判断し,「みなし弁済」が成立するとして,貸主勝訴を言い渡しました。
平成2年の最高裁判決は,当時,かなり大きな衝撃だったでしょう。
「みなし弁済」を,借主の認識面で否定する方法が閉ざされてしまったわけですから。
「みなし弁済」を否定するためには,法律上要求されている,書面の記載や書面の交付を満たしていない,という方法に限定されることになったわけですが,当然ながら,貸主も,書面の記載や交付が,きちんと法律に則っているかは確認しているわけで,借主側の弁護士としては,かなり厳しい戦いになっていたでしょう。
そういった状況が,平成2年(1990年)から平成18年(2006年)まで続いたわけです。
この16年間は,過払金請求なんて,ほとんどの弁護士は依頼を受けなかったでしょう。だって,基本的に勝ち目がないからです。
最高裁が,平成2年時点では,貸金業者側の肩を持った判決を出したものの,それから16年を経て,借主側に鞍替えし,その結果,過払バブルが起こった,というのが,正確なんだと思います。
この平成18年最高裁判決を受けて,今は,罰則対象金利も年利20%まで引き下げられ,その結果,グレーゾーン金利も,10万円~100万円までの年利18%との差額2%,100万円以上の年利15%との差額5%と,ほとんどなくなりました。
しかも,利息制限法を超えた利息をとっていると,金融庁が行政処分を出すらしく,そうであれば,現在,実質的にグレーゾーン金利がなくなったと評価してよいでしょう。
年利2%や5%の利息をとりたいがために,営業停止処分なんかくらったらたまったもんじゃありませんからね。
今日,別の調べものをしていたら,最高裁が貸金業者の味方をした平成2年判決を見つけたので,ちょっと書いてみました。
【今日のうつ病】(うつ病経過まとめ:こちら)
まだまだ僕のうつ病は治っていないので,毎日うつ病の経過を記録しています。
今日までに経過した期間↓
・うつ病発症(2019年7月10日~):519日(1年5か月)
・実家療養後の1人暮らし(2019年9月27日~):440日(1年2か月と13日)
・午前中の散歩(2019年11月7日~):399日(1年と1か月と3日)
・毎日ブログ(2019年12月3日~):373日(1年と7日)
・出勤練習(2020年3月30日~):255日(8か月と10日)
今日で,出勤練習を始めて8か月と10日です。新型コロナウイルスの影響で,4月13日~5月11日までの約1か月間,一時中断されていましたが,それを差し引いても,約7か月間出勤練習を積み重ねてきました。
そして,12月1日から少しずつ業務に携わるようになりました。
具体的には,理論上の問題を調査したり,簡単な法律相談を担当したりするようになりました。
書面を作成したり,裁判所に出頭したりするのはまだですが,これから少しずつ,範囲を拡大していこうと思います。
今日は出勤し,午前9時~午後6時(定時)まで滞在予定です。
今日の「SleepCycle」を見ると(睡眠記録アプリ「SleepCycle」についてはこちら),午後11時3分~朝7時27分までの睡眠が記録されています。一昨日の晩は寝つきが悪かったですが,昨晩は寝つきもよく,朝までぐっすり眠ることができ,朝7時27分に自然と目が覚めました。睡眠時間は8時間以上,SleepCycle独自の睡眠品質も84%/100%と良好です。
(なお,僕のうつ病は,主な症状が不眠(①寝つきが悪い②中途覚醒③朝早く目が覚めてしまい二度寝もできない)で,この不眠症状の有無が,その日の調子の良し悪しや,回復の進み具合を左右します。そのため,毎日の睡眠時間や睡眠の質について,睡眠記録アプリ「SleepCycle」に記録されているデータをもとに逐一書き出すことにしています。)
今の僕は,早めの就寝が吉みたいです。
これまでは,寝つきの悪さがこわくて,早めの就寝を回避する傾向があったのですが,今はそれよりも,就寝が遅いのに朝早く目が覚めてしまい,結果的に睡眠時間が短くなる,というのを怖がったほうがいいようです。
今日も,早めに寝ます。
今日もブログ書けてよかった!
それではまた明日!・・・↓
昨日のブログ↓
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※うつ病への負担を考慮し、「書き始めてから1時間くらいでアップする」という制限時間を設けています。