#96 自民党の歴史-⑤
ちょっと最近ブログ頑張りすぎているので,今日から時間制限を設けようと思います。
書き始めて1時間以内にアップロードまで完了するようにします。
ここ2日くらい,不眠の症状が出てしまっていて,多分頑張り過ぎが原因なので,ちょっとセーブします。(こういったセーブができるようになったのも,大きな成長ですね(笑))
さて,自民党の歴史を,外国との兼ね合いや国内の政治動向も踏まえて書いてきました。
かれこれ,このブログでもう6回目です(初回のブログはこちらで,昨日のブログはこちら)
昨日のブログでは,2001年に始まった小泉純一郎政権の外交についてお話しました。
小泉政権が成立する前の経世会政権の頃は,対中宥和でした。
まんまと,鄧小平の「韜光養晦(とうこうようかい)」に乗せられてしまい,日本政府は,中国に対し総額6兆円のODAを与えました(もちろん,原資は税金です)。
しかし,小泉政権は,アメリカをバックに,対中強硬路線をとりました。
その反面,アメリカにべったりで,開戦理由に乏しいイラク戦争(2003年~)も,アメリカに追従してしまい,戦闘行為ができない状態の自衛隊を,サモアに派遣してしまいました。
本当に幸運にも自衛隊の被害者は出ませんでしたが,「自衛隊の行くところは非戦闘地域だ」という意味不明な小泉純一郎の答弁は,当然非難されるべきです。
そして,話は対北朝鮮外交に移ります。
昨日は,拉致問題が1987年に大韓航空機爆破事件によって発覚したものの,経世会時代の日本政府は,金丸訪朝団を北朝鮮に送り(1990年),「北朝鮮との国交回復時には1兆円を払う」というふざけた約束をしながらも,拉致問題については一切話し合わないという,全く国益を無視した外交をしていたということを書きました。
今日は,この続きなんですが,小泉政権の北朝鮮外交に入る前に,もう1つお話しなければならないエピソードがあります。有本恵子さんの事件です。
有本恵子さんは,1983年,ヨーロッパ旅行中に北朝鮮に拉致されました。
当然,拉致された有本恵子さんは,日本にいる家族と連絡をとることはできません。
しかし,有本恵子さんは,北朝鮮から,日本の実家宛に手紙を出し,なんと,その手紙が無事に届いたのです(1988年)。
有本恵子さんの家族は,その手紙を見て,当然,どうにか有本恵子さんをを助けたいと思うわけですが,しかし,当時は経世会政権で,大韓航空機爆破事件が起きたのに何もしないし,金丸訪朝団を送るような人たちですから,有本恵子さんの両親は,日本政府ではなく,北朝鮮とのコネクションがある,日本社会党に,有本恵子さんから手紙が届いたこと,そして,なんとか有本恵子さんを取り戻せないかと,相談しました。
しかし,日本社会党というのは,このブログでも書きましたが,もともとソ連の共産党の日本支店として開設され,冷戦時代に日本国内で日本の共産化をもくろんでいたわけですが,ソ連崩壊後,急速に北朝鮮の朝鮮労働党に接近していました。
そんな日本社会党が,有本恵子さん家族から,↑のお願いを聞かされた結果,どうしたか?
当時の日本社会党党首は土井たか子でしたが,なんと,日本社会党は,北朝鮮と拉致被害者奪還について交渉するどころか,「拉致被害者の出した手紙が日本に届いてますよ。情報が漏れてますよ」と,北朝鮮にリークしたのです。
日本社会党って,そういう政党です。もうね,朝鮮労働党の出先機関なんです。
その日本社会党から分裂した,社会民主党(福島瑞穂),社会民主連合(菅直人)も,そうなんですよ。
こういった日本社会党によるリークの後,有本恵子さんとの音信は途絶えました。
北朝鮮からも,有本恵子さんが死亡したという報告があるのみです。
そして,経世会政権後に,小沢一郎と日本社会党がくっついた反自民連立政権も,拉致問題に何も動かない。当たり前ですね。日本社会党が与党になっているわけですから。
その後の,反小沢一郎で結託した経世会・社民党政権も何もしません。
しかし,小泉純一郎は違いました。
経世会や日本社会党などとは違い,北朝鮮とのしがらみのないのが,小泉政権でした。
小泉政権発足後,拉致問題もやっと進展します。
小泉政権発足が2001年ですから,拉致問題が発覚した大韓航空機爆破事件(1987年)から14年も経過していました。
小泉政権発足後,外交官レベルで拉致問題の交渉が行われました。その担当外交官は,田中均(ひとし)という人物でしたが,結局,北朝鮮(当時はキム・ジョンウン)がどう返答するかわからないまま,小泉純一郎が平壌を訪れ,日朝首脳会談が実現します(2002年)。
その会談の場で,北朝鮮側は,「調査の結果,5人は生き残っている。8人は死亡した」と伝え,「日本側の言っている『拉致』というのはでっちあげだ。日本人たちはあくまで自発的にやってきたにすぎない」と反論しました。そして,金丸訪朝団で約束したとおり,1兆円払えと日本側に要求してきました。
北朝鮮は,めちゃくちゃな理屈を述べて,がめつく金銭も要求してきたわけです。
その晩,日本側で,この北朝鮮の要求をのむかどうか話し合われました。その話し合いの最中,安倍晋三現総理(当時は官房副長官)が,こう言うんですね。
「拉致を認めないんだったら,国交正常化なんてできないから,明日の会談はキャンセルして,もう帰りましょう!」
盗聴器に聞こえるように,大きな声で,安倍晋三が言いました。
そうすると,翌日,北朝鮮は態度を一変させます。
「ゆうべ調べたら,うちの特殊機関が英雄的行為に及んだので,それを謝罪する」
なんと,北朝鮮が,初めて,国家としての犯罪行為を認めました。
これを引き出した安倍晋三の功績は大きいでしょう。
実際に,被害者5人とその家族の帰国も実現できましたから,経世会時代,その後の小沢一郎政権,反小沢一郎政権時代と比べると,とても大きな前進です。
しかし,帰国の調整を担当した外務省が,「あくまで北朝鮮の言う通り,一時帰国」ということで,北朝鮮を説得してしまっていました。
だから,北朝鮮からすると,拉致被害者の日本への帰国は,あくまで「一時帰国」なんです。
にもかかわらず,当然,日本政府は永久帰国の立場ですから(特に安倍晋三がこの立場で,小泉純一郎も,安倍晋三の立場にすり寄った),拉致被害者を北朝鮮に返すことはしません。
そうすると,北朝鮮としては「騙された」という理屈がとおってしまうのです。
この理屈がまかり通ってしまう交渉(「一時帰国」という位置づけ)をしてしまった田中均の責任は重たすぎる。(おそらく,田中均が焦ったと思われます。歴史に名前を残したくて。)
ただ,この拉致問題が,安倍晋三を権力の中枢に押し上げました。
「拉致問題で頑張った」安倍さんということです。小泉純一郎も,安倍晋三を後継者に指名しました。
ここまでが外交で,この後,小泉政権,そしてその後に続く自民党政権の経済政策にも触れられていてます。
小泉政権も発足当初は,日銀に円をたくさん刷らせて,なおかつ,ゼロ金利政策もしていました。その結果,景気も上向いていました。
しかし,やっぱり,小泉純一郎,その後の安倍晋三,福田赳夫,麻生太郎政権って,財務省系なんですよ。清和会が福田赳夫という財務官僚の派閥ですし,民営化を推し進めたのも,「財務健全化」といえば聞こえはいいですが,結果としては,財務省管轄の一般財源を増やし,無駄遣いを減らして財政の見栄えをよくするというものですから,財務省にとって嬉しい政策という一面があるのは否定できません。
また,労働市場の自由化も行われました。つまり,企業が従業員を解雇しやすくなるということですね。これって,労働市場が,いわゆる「売り手市場」,つまり,労働者有利=景気がよくって求人が多ければ,問題ないんですが,当時の日本は,リーマンショックも重なり,景気はダダ下がり。
こういう経緯で,日本経済が傾いてしまい,「やっぱり自民党政権ダメだよね」となって,政権交代を呼び寄せてしまいました。
動画は,これで終了しています。
ここまでで1時間!
動画の内容をただまとめるだけではおもしろくないので,明日はちょっと自分の意見もお話してみたいと思います。(しないかもしれませんが!)
それではまた明日
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