#77 住宅ローンと担保とか-④

3日前のブログ(こちら)と一昨日のブログ(こちら)と昨日のブログ(こちら)の続きです。

一昨日のブログでは,住宅ローンでお金を用意して土地や建物を買う場合,銀行が確実に抵当権という担保が設定できるようになっているという話をしました。

そして,一昨日のブログでは,抵当権がきちんと機能する制度設計がなされていることを説明し,昨日のブログの冒頭では,そういった制度設計のおかげで,住宅ローンでお金を貸しやすくなっていることも説明しました。

昨日のブログでは,住宅ローンがあることで,お金がなくても土地や建物を買えるのは純粋にすばらしいと前置きした上で,未来に対する希望=信用から借金が広く浸透したという歴史的な背景から,お金を貸すことにおいては何よりも信用が大事であるけれど,あるものに対する信用が狂信的になると,バブル経済=ババ抜きゲームが引き起こされ,最終的には経済に深刻なダメージを与えるということを説明しました。

今日はその続きですが,

早速ちょっと脱線しますけど,昨日のブログでは,400年前のオランダにおけるチューリップバブルと1980年代の日本における土地バブルを紹介しましたが,最近も起きましたよね。

ビットコインです。

あれも,バブルが起きたあとに,マスコミが報道したんです

「ビットコインが儲かるらしい」ってね。

その結果,庶民が参戦して,ババを引かされたんです。

こうやって,バブルはちょくちょく起きてますよ。

もっと最近は「ウィーワーク」ですね。

企業価値がめちゃくちゃつり上がっていたものの,大暴落。

今回はソフトバンクがババを引かされていたみたいですね。

本題に戻りますが,

こうやって,バブルの話をすると,やっぱり,思考停止で「投資なんかしないほうがいい」とか「借金してまで土地を買うもんじゃない」とか考えてしまう人が多いと思います。

まあ,僕自身がそうでしたからね。

でも,本当にそうなのかということです。

そもそも,住宅ローンでつけた抵当権というのは,土地や建物の価値がキープされていれば,十分に機能するはずですよね。

だって,住宅ローンで貸し付ける金額の上限は,土地や建物の購入価格が上限なわけですが(当たり前ですよね(笑)。土地や建物を買うためのお金を貸すのが住宅ローンですから,土地や建物の購入価格を超えてお金を貸すわけありません。),その購入価格と同じ価値がキープされていれば,その購入価格のまま土地や建物を売却することができて,貸付金を回収することができなくなるという事態は生じないはずです。

でも,「価値のキープ」というのは,できるのでしょうか。

まずは,建物について説明します。

建物の価値がキープされるというのは,なかなか難しいと思います。

だって,建物って,毎日毎日雨風にさらされているわけです。建物が中に住んでいる僕たちを雨風から守ってくれているということは,建物自体は,雨風を毎日浴びているということです。

そうすると,時間が経過することで建物の価値が低下してしまうのは,避けられないでしょう。

だから,建物につけた抵当権が,うまく機能しない=建物を売却してもあまりお金にならない,というのは,まあ仕方ない。

じゃあ,土地はどうでしょうか。

昨日は,散々,日本の土地バブルで土地の価値が乱高下したという話をしましたが,やっぱり,土地の価値は上がったり下がったりするものなのでしょうか。

こういったバブルの知識があるので,土地の価値は上がったり下がったりするものだという固定観念がある方もいるかもしれませんが,すごーく素朴に考えれば,土地の価値って上がったり下がったり「しない」ものだとは思いませんか?

だって,土地って,その場所の価値ですから。

その場所は,どれだけ時が進んでも位置は変わりません。

この日本の,もっと言えば,この地球において,その場所にその土地があることは,未来永劫変わらないのです。

(まあ,地殻変動とかがありうるわけですが,それは人類が気にすることができる問題じゃないですよね。この日本に住んでいる限り,どこだって地震で地形が変わることはあり得るわけで,地震学者たちが一生懸命予測の制度をあげようとしていて,その努力は当然必要でこれからも続けてほしいとは思っていますが,結局,地球の活動は,人類の歴史からは想像もつかないほど長期のスパンで起きているので,人類がそれを正確に予測することはなかなか難しいと言わざるを得ないと思います。だから,この日本や世界において,地震によるリスクを考慮して土地の価値を考えることは,人類でいる限り,ナンセンスだと思ってしまいます。)

日本における土地バブルの痛い記憶を一旦置いといて,素朴に考えると,土地はいつまでもその場所にあるんだから,その場所としての価値は変わらない,と考えることができると思います。

だとすると,住宅ローンって,とても素晴らしい制度にはならないでしょうか。

確かに,建物の価値は下がってしまうため,建物分の貸付金は回収できなくなるかも知れませんが,土地の価値は下がらないから,少なくとも,土地分の貸付金は回収できると考えていていい。

そうするとどうなるかというと,貸す側と借りる側双方にとってめちゃくちゃ良いんですよ。

貸す側としては,借主が途中で返済できなくなったとしても,建物分については返済が済んでいれば,残りは土地を売ってお金に変えればそれでいいやと思っておける。

借りる側としても,建物分さえ返済が済んでいれば,もしその後返済が滞ったとしても,住んでいる自宅は売らなければならなくなるけれど,土地ごと売ってしまえば,ローンが残ることはないわけで,むしろ,土地ごと売ることで返済から解放されることにもなるわけです。

だから,「土地は場所としての価値なんだから価値が落ちることはないよね」という素朴な考えに基づいて,土地を担保に購入資金を貸し付けるというのは,貸す側と借りる側双方にとって良いことだと思います。

そして,最終的に,頑張って借主が住宅ローンを完済すれば,借主は「価値の下がらない」土地が手に入り,貸主も,利息という利益を得ることができるわけです。

この返済の旅は,何十年も続くのですが,「土地の価値が下がらない」という素朴だけれども的確な考えのおかげで,途中からとても気が楽になるんですね。

だから,住宅ローンって,そんなに悪くない。

むしろ,現代社会にどっぷり浸った僕らは,どこかに定住する必要があり,そうすると,結局,生きている限り住居費が必要になってくるわけで,だとしたら,最終的に「土地」という価値の下がらない財産を手に入れられる,住宅ローンのほうが,賃貸よりいいよね,という結論に至るでしょう。

(正確には「という結論に至るというのもよくわかる」ですが。そもそも,本当は「定住する」必要なんてないですけどね。このことは,これからお話します。)

でも,本当にそうなのかということが,僕が,この長い長いブログで話したかったことです。

・住宅ローンはお金がなくても土地が手に入る

・「土地は価値が下がらない」から住宅ローンも,建物分を返済してしまえば,貸主・借主ともに気が楽になる

・賃貸だと住居費を払っても財産にならないが住宅ローンだと住居費を払うことで「土地」という価値の下がらない財産が手に入る

住宅ローンって,こういうものです。

これまでのブログでは,住宅ローンについてくる抵当権のおそろしい制度や,土地バブルによる経済的打撃について話してきましたが,住宅ローンそのものにフォーカスをあてると,↑のように,なかなか良い制度に思えてくる。

ただ,みなさんもお気付きの通り,この良さは「土地の価値が下がらない」ということが前提となっています。

「土地の価値が下がらないなんてことはなかっただろ。バブルが弾けたことを説明したじゃないか!」と言われそうですが,確かにそうなんですけれど,僕が言いたいのはそうじゃないんです。

バブルは,土地への信用が狂信的になったことが原因と説明しました。

じゃあ,人々がみんなバブルというババ抜きゲームに敏感になって,狂信的な土地のババ抜きゲームに陥らないようになったとしましょう。

人類が歴史に学び,バブルが起きなくなる可能性もあるわけです。

そうすると,土地の価値はその場所の価値としてキープされるはずです。

でも,僕が言いたいのは,「それでもなお,土地の価値って下がるよね。」

ということです。

これまで説明してきたとおり,土地の価値は「場所の価値」でした。

「場所」が変わらないからこそ,その土地の価値はキープされるということを,「素朴な考え」とお話してきました。

しかし,その素朴な考えも,そろそろ終わると僕は思っているのです。

なぜなら,「場所の価値」がなくなるからです。

繰り返しますが,

「土地の価値」を支えているのは「場所の価値」です。

その場所,つまり,土地の位置は,未来永劫いつまでも,この地球上において変わらないのだから,「土地の価値はキープされる」という理屈でした。

でも,これからは,場所の価値がなくなると思っています。

一番大きな要因は「自動運転」です。

自動運転が実現すれば,まさに場所の価値がなくなります。

誰でもいつでも,どこへでも行けるようになれば,自分の住居をどこかに設ける必要すらなくなります。

どこへだって,寝ている間,ビールを飲んでいる間に着いちゃうわけです。

自動運転が完全に自由化されれば。

夢物語に聞こえるかもしれませんが,多くの研究者達が一生懸命自動運転の実現へ向けて研究開発を進めています。

2010年,iPhoneが爆発的に広まりました。

僕は当時大学生でしたが,周囲の大学生がものすごい勢いでiPhoneを購入していたのを覚えています。

その結果,スマートフォンがスタンダードになったんです。

いわば,スマートフォンは「モバイルパーソナルコンピュータ」です。

コンピュータを手のひらサイズにして,そのスタイリッシュなデザインもあいまって,その結果,自分専用コンピュータ端末を持ち歩くこと=モバイルパーソナルコンピュータがスタンダードになりました。

これはコンピュータを民主化したのです。

全員が自分専用コンピュータを持ち歩くことが一般化した。

なおかつ,そのコンピュータはインターネットに常時接続しています。

つい40年前まで,「パーソナルコンピュータ」なんて考えられませんでした。

このブログでも書きましたが,コンピュータは官公庁とかで申請書を提出して使うものでした。だから,「自分専用」=「パーソナル」コンピュータなんて,考えられなかった。

それが,Windows95によって,パーソナルコンピュータが一般化しました。

これがコンピュータの民主化です。

そして,2010年,iPhoneの爆発的なヒットによって,「パーソナルコンピュータ」を持ち歩く=「モバイル」ことがスタンダードになった

しかも,そのモバイルパーソナルコンピュータは,常時インターネットに接続していて,いつでも様々な情報アクセスすることができ,なおかつ,各自が情報を発信することもできるようになりました。

コンピュータの民主化

情報収集の民主化

情報発信の民主化

今から過去30年の間に,これだけの民主化が進んだわけです。

その結果,既に場所の価値は一部失われつつあります。

インターネットとスマートフォンにより,誰でもいつでも好きなものをアマゾンで買うことができます。

近くに店舗は必要ありません。

生鮮食品ですら,いろんなネットスーパーで買うことができます。

娯楽だってそう。

You TubeやNetflixで,動画なんていくらでも見られるし,ソシャゲなんてくさるほどある。

教育だってそう。

You Tubeにいくらでも教育チャンネルあります。それを見ていくらでも自分で勉強できます。テキストや問題集をアマゾンで買って自習での勉強もできるし,わからないことがあったら,自分で分かる人を探して,DMでも送ればいい。ある人が答えてくれなかったら,またもう1人探せばいい。

今は,どんな人でも,ダメ元で会いたい人にDM送れる時代

それで興味もってくれたら,Skypeですぐに話したりもできる。

このように,もう既に,場所に価値がなくなりつつあります。

こういったプライベートな話だけでなく,仕事もそうです。

例えば,今流行っているYou Tubeの動画編集の仕事を,インターネット上のアウトソーシングで請け負って働いている人であれば,どこに住んでいても関係ない。

動画データを送ってもらって,それを自宅で編集して,納期までに編集後のデータを送ればいいわけだから,どこにいてもいい。

場所は関係ない。クライアントからの注文も,Skypeで指示を受ければいい。

場所を問わない仕事がいくらでも生まれています。

でもやっぱり,「直接対面する」ことを,電子的に実現することはできていないので,「直接対面する」ことの価値は失われていません。

むしろ,直接対面という「リアル」の価値がどんどん上がっています

対面せずにできることがどんどん増えているからこそ,対面することの価値が増大していると僕は思っています。

でも,自動運転が実現したら,これすらも変わるかも知れない。

自動運転が実現したら,

・いつでも

・自分専用の移動車で,

・寝ている間や働いている間や遊んでいる間に,

・どこへでも行ける

ようになります。

インターネットを組み合わせて,誰とどこででも待ち合わせできるようになります。

スマートフォンが2010年以降の社会構造を大きく変えたように,

自動運転=パーソナルモビリティが,社会構造を大きく変えます(しかも,その変化は,少なくとも僕がまだ元気なうちに来るでしょう。スマートフォンの普及なんて,30年前は誰も想像していませんでしたから。社会の変化は思ったよりずいぶん早い。)

この,パーソナルモビリティによって変わる最も変わる社会構造こそ,

「場所の価値」です。

現在でも,かなりの部分,場所の民主化=場所の価値の低下が進んでいますが(↑に書いたように,娯楽や教育などの面で,場所による優劣はかなり減ってきています。),パーソナルモビリティが実現したら,完全に場所の価値がなくなります。

誰でも

いつでも

どこへでも

寝ている間に

行けるからです。

僕は,こういった場所の民主化の観点から,土地の価値がなくなると思っています。

だから,「土地の価値がキープされる」ということを前提とした,住宅ローンの良さが失われることになるので,「住宅ローンってなんだかなぁ」と思っているわけです。

確かに,人口減少で,単純に住む人が減り,それによって需要と供給のバランスから土地の価値が低下するというのもあると思いますが,この価値低下は,あくまで人口減少に伴うゆっくりとしたものです。

そうじゃなくて,僕が思うのは,自動運転というテクノロジーの観点から,場所の価値がゼロになる特異点(スマートフォンによってモバイルパーソナルコンピュータが民主化された2010年の自動運転版)が,そのうち来てしまうということです。

だから,「土地の価値が下がらない」,「だからこそ,住居費負担が土地という財産形成にもなる」という理屈を前提とした住宅ローンシステムは,変革を迫られていると思います。

これまでの住宅ローンシステムの前提にあった「土地の価値が下がらない」という理屈は,「場所の民主化」=「場所の価値ゼロ化」によって,完全に破綻します。

だから,住宅ローンは,借りる側としては,単純に住居費負担として考えなくてはならないと思います。

それ以上の意味を持たせるとしたら,「その場所が好き」など主観的なものです。

土地の財産的価値はゼロになるので,その場所に対する価値は主観的なものしかなくなってしまうでしょう。

「その場所が好き」

「その場所に住みたい」

こういった価値にどれだけお金を払えるかということになります。

もちろん,財産的価値がなくなったとしても,住宅ローンを完済すれば,その土地を手に入れることができます。

そうすれば,大好きなその土地を,自分で独占することができるようになるわけです。

それにお金を払うことに価値を見出すことは,なんら悪いことじゃない。

結局,「財産的価値」というのは,「自分以外の他の人も欲しがる」ことが前提です。

自分以外の他の人も欲しがるからこそ,社会的な「価値」というものが生まれるわけで,そういった社会的な価値を,自分も評価するかどうかは,その人の勝手で,社会的な価値を評価するかしないかの2つの立場の間に優劣はありません。

だから,自分が見出した「好き」という主観的な価値にお金という社会的な価値を投入することも,何か悪いわけではないし,優劣をつけられる筋合いはありません。

ただ,僕が言いたいのは,「場所の価値ゼロ化」を意識してほしいということです。

確かに,今すぐ土地の価値がゼロになるなんて,そんな暴論を言うつもりはありませんが,僕らは,スマートフォンによって,情報収集の民主化・情報発信の民主化,そして,アマゾンによって場所に関係なく商品を買えることやYou Tubeによってどこでも娯楽や教育を享受できることを経験してきたことは,しっかりとわきまえておくべきだと思います。

この延長線上に,「場所の価値ゼロ化」があると思います。

もっと現実的な話をすると,現段階でも,さきほど説明したように,場所を問わない仕事はいくらでもあります。

そうすると,なるべく住居費を抑えて,生活コストを下げたほうが,少ない収入で充実した生活を送れることになります。

つまり,田舎に住んで生活コストを下げて,場所を問わない仕事をしながら,買いたいものはアマゾンで買ったりして暮らすのが,都会で住居費をたくさん払うよりも,生活が充実できるということです。

まとめに入りますが

住宅ローンは,そのうち,「土地の価値が変わらない」という前提が崩れ,大きな変革を迫られます。具体的には,土地の価値がなくなるわけですから,土地を売ってもお金にならず,担保として意味をなさなくなります。そうすると,「建物分を返済したら安心だ」という借主・貸主双方にとっての安心がなくなり,貸主はいつまでも返済を受けられるかどうか心配しなくちゃいけなくなるし,借主も「売ってしまえばいいや」という安心がないわけですから,いつまでも返済できるかどうかを気にしなければならなくなります。

「土地の価値が下がる」ということは,仮に売ったとしても,それで返済に充てられないわけですから,売ってもローンが残り,なおかつ,売ったら新しく住居(もちろんパーソナルモビリティも含みます)を構えなくてはいけなくなり,その住居費の負担も出てくるので,結局二重の支払いが必要になってくることになります。

このように,「土地の価値が下がる」って,住宅ローンの貸主・借主にとって,本当に大きな大打撃なんです。「売ったら大丈夫」の安心感がなくなるからです。特に借主にとっては,住宅ローンの支払いが大変だから売りたいんだけど,売ったら売ったでローンの支払いと住居費の負担が二重になるという,とても苦しい決断を迫られることになり,なかなか厳しいです(今でも,この決断を迫られ,結局破産してローンをチャラにするという決断をなされる方もたくさんいます。)。

だから,住宅ローンは「財産形成」ではなく,あくまで「住居費」と考えておいたほうがいいです。その場所に対する(あくまで)「主観的な」価値があるから,そこにお金を落とすんだ!という感じですね。

これから,住宅ローン=貸付けと抵当権は,大きな変革を迫られることになります。

「場所の価値」という,住宅ローンが全体重を乗せていた船が沈みそうだからです。

まだまだ土地の価値がなくなることはありませんが,住宅ローンは返済期間がめちゃくちゃ長いです。

何十年も続きます。

だから,僕がこれまで書いてきたことを頭に置いていてもいいんじゃないでしょうか?

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これからも,無理せず続けます。

それではまた明日。

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