14年ぶりにリーグアンに帰ってくる育成の超名門クラブ ル・アーヴルAC
フットボールリーグといえば、昇格・降格があるのが1つの醍醐味。上に行けば行くほど特に資金面で潤沢な報酬を獲得することができます。
それよりも、選手たちにとっては上のリーグで戦える喜びというのは夢でありやりがいの一例に当たるのではないでしょうか。まるで優勝したかのように降格争いを制したり、昇格争いを制した後の選手たちやサポーターの様子は映画の1本が作れてしまうかのような盛り上がりを見せてくれます。
来季から厳しい日程の緩和とリーグ内の競走レベルを高めるためにリーグアンは18クラブ制になりました。そのイレギュラーな条件により、4クラブが降格することになりましたが、2部からFCメスと共に上がったのがル・アーヴルAC。
なんとリーグアンに復帰するのは2008/09シーズン以来14年ぶりとのことで、14年間のリーグドゥという下積み生活はかなり長いようにも感じられましたが、イングランドではルートン・タウンFCが31年ぶりに1部復帰ということで上には上がいましたね😅
ル・アーヴルというクラブは1872年に創設された自称フランス最古のクラブなのです。(自称については後述)しかし、当時はラグビーのクラブとしても創設され、正式にフットボールクラブとして発足したのは1894年。国内では1年早くFCミュールーズがフットボールクラブのみで創設されていたため、フットボールオンリーでは2番目のクラブとなります。
古い時代からフランスフットボール界に多大なる影響をもたらしてきたル・アーヴルACを今回は掘り下げていきましょう!
クロード・モネを生んだ世界遺産のコミューン
パリから見てやや北西部、ノルマンディー地方イギリス海峡に面する港町ル・アーヴル。輸送量に関してはマルセイユに次ぐ国内2番目の多さを誇っています。
1517年にフランソワ1世により正式に町と港が建設され、18世紀から奴隷貿易と国際貿易の主要拠点として栄えました。しかし20世紀からは石油化学産業や自動車産業、サービス業にも着手してきました。着実に経済発展を遂げた町は2005年には中心部がユネスコの世界遺産に登録されました。
海峡沿岸に位置しているため、温暖な海洋性気候であり風のない日はめったにありません。1年の間で0℃を下回ることも少なければ、25℃を超えることも少ないです。しかし、夏に雷雨、冬には嵐が起こることがあり、天候は安定していません。
第二次世界大戦では空爆の被害を受けましたが、「コンクリートの父」と称されたオーギュスト・ペレによって再建された町並みは本当に綺麗で、世界遺産に登録されたのもうなずけます。
2012年にル・アーヴルを舞台にした洋画「ル・アーヴルの靴磨き」は日本でも人気が高く、人情劇としても趣のある内容になっています。残念ながら日本のサブスクでは配信がないようで、興味がある方はぜひレンタルビデオショップにてお探しください。
ル・アーヴル出身者で最も有名なのが、印象派を代表するクロード・モネ。彼がル・アーヴルの港の風景を描いた"Impression, soleile levant (印象・日の出)は印象派の名前の由来になっているくらい、有名な画です。この画は彼のコレクションが集うパリのマルモッタン・モネ美術館にありますが、印象派の画が多く飾られてるル・アーヴルにあるマルロー美術館は観光スポットとしても楽しむことができます。
ル・アーヴルの町並みに関しては以下の動画をご覧ください
ル・アーヴルACの歴史が始まった頃の日本は、、
ル・アーヴルがフットボール及びラグビークラブとして創設されたのは1872年の出来事であることは先述の通りですが、当時の日本はなんと明治時代。調べたところ、1872年は日本では翌年から太陰太陽暦から太陽暦を採用することを決定したり、仙台県から宮城県になったり、品川駅〜横浜駅間で日本初の鉄道が仮営業を開始したり。海外では世界最古のサッカー大会FAカップの第1回決勝や、史上初のサッカー公式国際試合が開催された年らしいです。
さて話題をル・アーヴルに戻すと、彼らがフランス最古のクラブと自称しているのは、正確な証明がないからです。クラブは断固として誕生を1872年としていますが、サッカークラブの存在を示す最初の規約は1894年であり、当時既にパリ中心に複数のクラブが存在していました。彼らは1872年時点ではまだラグビーとの混合であり、サッカーオンリーになったのは1894年。つまり、パリ中心の複数のクラブはル・アーヴルよりも先にサッカーオンリークラブであったというのが大多数の見解です。
もともとラグビーの方が人気であり、どちらか一方ではなく、フットボールとのコンビネーションを図ることを上層部はかねてより願っていたらしく、それを踏まえると後出しジャンケンで「俺らが最古だもん♪」と言っているようなものです。
さて、ここからは真面目にクラブヒストリーを。1894年にフットボールクラブとして発足し、最初のタイトルとなるフランス選手権(当時:USFSA)はまさかの不戦勝。全国選手権としながらも、パリ以外の地方から集まったのはリールのクラブとル・アーヴルACのみ。勝った方がパリのチャンピオンとの決勝を戦う試合の前に、リールのクラブがインフルエンザで断念。決勝に進むも、ここで対戦を断固拒否。なぜか公式はその意見を尊重してル・アーヴルを優勝クラブとしました。翌年大会はしっかり戦ってこれまた優勝し、クラブ初期に花を添えるタイトルを続けて獲得しました。
結果、国内タイトルはUSFSA3回、クープ・ドゥ・フランス1回、トロフェ・デ・シャンピオン1回という記録を残しています。リーグドゥは6回も優勝していますが、最後のメジャータイトルからは60年以上遠ざかっているというのが現状です。
ポグバやマフレズを輩出した国内トップクラスの育成機関
ル・アーブルのもう1つの代名詞が題名にもある通り、「フランスの育成における超名門クラブ」というのがあります。長い歴史があった中で、その育成術は21世紀になってから注目を浴びるようになってきました。
昔から若手選手を育てるという文化はフランスにおいては根強くありましたが、1998年のワールドカップ前後を境に移民出身の有望株の育成に拍車がかかり、トップチームの成績は安定せずとも若手育成に丁寧に着手し、長い歴史という知名度もあってル・アーブルが育成機関として重宝されるようになりました。
そんなル・アーヴルACの有名な出身者たちがこちら。
上記6人のうち、ポグバとパイエ以外はトップチームまで上り詰め、メンディ2人は国内ビッグクラブへ、マフレズはイングランドのレスターに引き抜かれました。
その他の有名な卒業生としては、GKスティーヴ・マンダンダや、前ニース監督のディディエ・ディガール、元マルセイユのスレイマン・ディアワラなどがいます。
もちろん育成技術に関してはリーグアンのクラブのほとんどは高い評価を受けていますが、ユースの段階からしっかり若手を育てて売買を効率よく行うことに関してはかなり技術レベルが高いクラブであるということが言えます。今後もル・アーヴル出身の有望株はどんどん輩出されていくのではないでしょうか。
クラブ概要 スタジアム・会長など
ル・アーヴルのホームスタジアムは25,278人収容の「スタッド・オセアン」。コンサート時は33,000人収容に膨れ上がるこのスタジアムの建設を手掛けたのは、リヴァプールやトッテナムの練習場を設計したイングランドのKSS Groupと国内のSCAU社でした。
2007年に都市共同体の援助を受け、2010年から建設工事がスタートし、2012年に落成式が執り行われました。同年にはディディエ・デシャンのフランス代表監督としての初陣であるフランス×ウルグアイの親善試合が行われ、その後もアフリカチームの親善試合や、2019年の女子ワールドカップにも使用されました。
スタジアムにも取り入れられている、クラブカラーは「空色と紺色(Bleu ciel et Bleu Marine)」。夜になると、元々青いスタジアムの外装がライトアップされてより青みがかった外装となります。
サポーターの愛称は[Havrais(アヴレ)]といい、フランス特有のチャント[Qui ne saute pas n’est pas〜]に続けてどうぞ。
会長は67歳のフランス人、ジャン=ミシェル・ルシエ。1995年7月から1999年9月までマルセイユ、2018年10月から2020年2月までASナンシーの会長を務めた経験があり、それ以外ではリーグアンとリーグドゥの放送チャンネルの立ち上げ・運営に携わってきました。昨年6月からル・アーヴルの会長に任命されました。
8年前にル・アーヴルを買収したのがアメリカ国籍のヴィンセント・ヴォルペ氏。1990年に仕事でアメリカからノルマンディー地方へと移住し、石油や天然ガスの抽出に使用される機器の設計や製造を行う[Dresser-Rand]の取締役を務め、2015年にル・アーヴルの株式を購入しました。それまで16年務めていたジャン・ピエール・ルヴェル前会長の後にすぐさま会長を兼任するも、昨年からルシエ氏にその座を譲っています。目標に掲げていたのはリーグアン復帰と女子サッカーの発展であり、2019年女子W杯の会場にスタッド・オセアンを推したのはこの人物。
14年ぶりの昇格を決めた22/23シーズン総括
今季からアミアンやユニオンSG、スタンダール・リエージュなどを率いていたスロベニア国籍のルカ・エルスナーが監督に就任しました(祖父のブランコはブランメル仙台『現ベガルタ仙台』の元監督)。この監督の元でフォーメーションを4–3-3を基本軸として、38試合でリーグ最小失点の19という記録を残しました。
さ並びに凄かったのがリーグ・ドゥでは3節から35節まで33試合無敗を維持していました。つまり、リーグ戦では8月から翌年5月中旬まで1度も負けていませんでした。しかし、無敗といえど勝ち続けたわけではなく、引き分けが多く目立ちました。引き分け15という数字はトップ10の中で最も多く、また得点数46というのもリーグ下位レベルの数字でした。
基本布陣を載せましたが、試合によって2列目以降は大きく変わることがあるので、固定メンバーはバックスくらい。最多得点者は3人並んでいるのですが、最多が6ゴールというのは物足りなさが否めないです。
そんな中で、1人紹介したいのがナビル・アリウィ。最前線10番のストライカーはユースではトゥーロンやモナコで過ごし、セルクル・ブリュージュを挟んで2020年からル・アーヴルでプレーしています。
かつては多方面から注目された逸材ではありますが、2部においてもまだ完全には開花できていません。今季は自己最多の6ゴールを挙げましたが、定位置確保には至っておらず、ベンチスタートの試合も少なくありません。かつてはフランスのアンダー世代に着実に選ばれてきた実績があるため、持ち味のゴール前での嗅覚を活かすためにはコンスタントに結果を残す必要があります。
来季リーグアンに生き残れる確率は、、
14年ぶりで地元の雰囲気も高まっている状況下ではあると思いますが、正直にいってル・アーヴルが来季のリーグアン残留を勝ち取ることは厳しいと予測します。
理由としては、主に2つあって1つ目は守備が売りのチームでは1部では厳しいということ。今季のアジャクシオがそうであったように、2部でどれだけ失点が少なかろうが結局点が取れなければ1部では全く勝てないため、攻撃陣の奮起は必須条件となります。ましてや来季は18クラブ制ということで、ほとんどのクラブが今季より緩和された日程で戦うことができるため、リーグアンの壁は予想以上に高いかもしれません。
2つ目はキャプテンの流出によるメンタル面の不安があることです。Bチームからル・アーヴルに忠誠心を捧げてきたキャプテンのヴィクトル・レハルが来季はカタールのウンム・サラルに移籍することが決まっており、アンカーとしてもチームを支えてきた人物の放出は主にメンタル面において不安要素が大きくなるように感じます。
せっかく久しぶりに来季はリーグアンで戦うことができるというのに、危惧したことばかり綴って申し訳ないのですが、来季はメスと共に昇格組の意地を見せて旋風を巻き起こしてくれることを期待しましょう!今回もご覧いただき、ありがとうございました。