【自分の物語】
改めまして自己紹介させて頂きます。
TERU
1982年5月13日大阪生まれ39歳
父親は公務員、母親は専業主婦
自分と2つ年下の弟の4人家族
自分が生まれた事が身内にとっても
初孫だった事から
みんなを慶(よろこび)に輝かせた事と
父親は禎宣(よしのぶ)
母親は恵子(けいこ)
『慶』は、ヨシやケイと読むので
両親の名前がそれぞれ入る事から
今の自分の名前が付いた。
みんなを慶に輝かせたはずのこの人物が、
幼稚園に入った途端イジメに合う
3歳くらい?の記憶なのであまり
覚えてないけど、年長になる頃には
イジメが原因で幼稚園が変わっていた。
その時のストレスで爪噛みが始まった。
それと同時に左利きを、書き物、食事時の
箸を持つ手やナイフとフォーク等
右利きに強制的になおされて
そこにもストレス感じて
目をパチパチしまくるチックになった。
本人あまり自覚ないけど瞬きが
めちゃくちゃ多いらしい。
その後の幼稚園はめちゃくちゃ平和で
お遊戯会の主役をしたり友達増えたりで
楽しく過ごしていた。
小学校に入学して暫くするとまたイジメ。
ここから地獄の6年間が始まる、、、
朝学校に行けば上靴がない。
教室に行けば机と椅子は廊下。
教室に入ってゴミ箱漁って
ノートと教科書、私物を取り出す。
これが毎日のルーティーンになり
学校にいってこれをやって初めて
席に着く事が出来た。
子供の頃に自分がずっと感じてた事があって
それは『自分はみんなと何かが違う』
同じモノを見てるハズなのに同じに見えず
違う景色が見えていて、
根拠の無い自信や何でも出来るって
信じ切っていた。
みんなと違うからイジメられるんだって。
そして、その時に自分が思ってた事は
『自分が我慢していればいい』
幼稚園で親に心配かけて、
また小学校でも心配かけるんか?って。
暴力を振るわれてるわけでもなく、
怪我もしてない。
だから自分が我慢していればバレないって。
ずっと、そうやって家に帰ったら
バレないように平気な顔して過ごしてた。
本当は『苦しい!気付いて!』って
言いたかったのに言えない自分がいた。
何年経った時だったか忘れたけど、
どうにもこうにも耐えられなくなり
両親に『実はずっと虐められていた。』と
助けを求めて初めて打ちあけた。
すると、自分の予想通り
母親は辛そうな顔で泣き、その時自分は
母親のこんな顔が見たかったんじゃない!
だからずっと言えなかったし
こうなる事は目に見えていたから
言うのが嫌だったんだって思った。
父親には『お前が弱いからアカンねん!
強くなれ!やられたらやり返せ!』って。
その時に自分の中に『人に弱みを見せるから虐められる。強くなったら虐められる事も無い。強くならなきゃ!』って自分の潜在意識に
このやっかいな物が入り込んできた。
これから、この先の人生ずっとコレを
握って生きていくわけで、、、。
そこから毎日のように殴り合いの喧嘩。
ただ、自分のポリシーとしては
『絶対に自分から仕掛けない』って
これだけは決めていた。
1発貰ったら正当防衛の大義名分で
相手をボコボコに出来ると思ってたから(笑)
中学に入ると他校と合体するから
またそいつらがタッグを組んで
小学校の延長戦が始まる
酷い時は1対6とか8とかで殴り合い。
同級生から見たらこの光景は
アニメかドラマのワンシーンか
何かですか!?ってくらいの状態だったと思う。
中学のクラブは陸上部に入った。
めちゃくちゃ筋トレして腹筋バキバキで
理由は早く走るためもあるけど、
お腹殴られても平気になるから(笑)
これを続けて行くと結果的に両方得られて
中2の後半から地域の大会は
負ける事がなくなった。
その頃から不思議とイジメも無くなり
急に仲良くなったり応援されたり、、、
突然モテ期が到来したり、、、
この頃の自分の感情カオス(笑)
卒業して高校は平和で最後の方に
少しイジメっぽい事あったけど
高校出たら関わる事が無いから軽く
流せる自分がいた。
大学生になると、当時の彼女がキッカケで
メイクを覚える事になり、
メイクアップアーティストの道が始まる
メイクアップアーティストの道と言っても
最初からなりたかったわけでもなく
その存在すら知らなかった
高校3年の時辺りからカリスマ美容師と言う
言葉が流行り、時々自分で自分の髪の毛を
切ったりしてて美容にも興味はあった
中学生になってすぐくらいから
床屋さんから美容院に変わったりもあり
美容師さんカッコイイ!くらいで
大学受験か美容師の専門学校かの二択
高校は大学が付いてるから普通の成績を
取っていたらエスカレーターなので
ほっといても大学生になれる状態
専門学校に行って美容師になるって
そこまで本気じゃなかったんだろうなって
今なら思う
専門学校を調べるのがめんどくさいが勝ったから
専門学校を調べる事も見に行く事もせず
行動を起こさないまま時が過ぎて
そのまま大学生になった
でも、何処かで行動しなかった自分に
後悔していて相変わらず自分や後輩の
髪の毛を切ったりしてた
今でこそアシンメトリーって髪型があるけど
これが流行る前にモドキをやってたら
片方だけ長くて片方短くてダサイ!って
周りから散々バカにされたりしてたけど、
髪型ひとつで人が目に見えて変化したり
見え方が変わったり、この変化が楽しくて
美容師になりたかったんだと思う
大学生の頃付き合っていた彼女が
メイクアップアーティストさんから
メイクコンテストのモデルを頼まれた事が
きっかけでメイクアップアーティストの
存在を知ることになる
それまで全くメイクにも興味がなく
モデルで練習して帰ってきた彼女の顔が濃い!
毎日のようにその顔を見てると
急にスッピンで会ったら何か物足りない(笑)
その後メイクアップアーティストさんに
最初から最後まで彼女のメイクをする所を
間近で見せてもらって完全に興味が湧いた
その年のメイクコンテストは
Zepp大阪の会場で3000人くらい入れる
ライブとかやってる会場だった
今から20年くらい前って今ほど
男性のメイクアップアーティストがおらず
200人ちょいエントリーの予選から選ばれた
20人が舞台で自分の技術を争う決勝戦
ここで自分の既成概念が覆される事になるとは
その時は思いもしなかった
決勝戦の舞台に上がったのは
20人中19人が女性でたった1人の男の子
当時の自分は『メイクは女性のもの』って
勝手に思ってたから、男には無理だし
厳しい業界だから勝てるわけがないって
お前何様?って言われそうなくらい
そう思っていた(笑)
すると、その男の子が何と!
ベスト3に選ばれて全国大会の切符を手に入れた
その時に自分の中で男でも出来るんや!って
思ったからコンテスト終わってすぐに
彼女に声をかけてくれた
メイクアップアーティストさんに
『俺もやりたい!どうしたらメイクが出来るようになりますか!?教えて欲しい!』って
気付いたら言ってた
『メイク道具揃えたら教えてあげるよ』って
いきなりプロに教わる事が出来るチャンスを
今掴まないとまた後悔するって思ったから
すぐに一式揃えて教えて貰える環境を作った
実際やってみると、めちゃくちゃ難しい
グッと触ると手がキツい!って言われ
優しく触り過ぎると生まれたての
小鹿みたいに手が震え、、、
顔を触るときは桃を触るくらい優しくねって
言われても桃は食べる専門やから
触る事ないって思ってみたりw
メイク落としからメイクアップまで
教えてもらい、メイクセミナーにも参加して
一年後のコンテスト出場を目標に
毎日練習を頑張り出した
年間で200人近くの顔を触ってたと思う
これが報われ次の年に予選を突破して
Zepp大阪の舞台に立つ事が出来た
3000人の前の舞台でメイクなんて
当然した事もなく出た人には
『舞台には魔物が住んでいる』って
聞いてて、その時初めて意味がわかった
コンテストが始まって前半何とも無かったが
後半に入る頃にいきなり手が震えて
描けなくなった、、、
何とか呼吸を整えて気持ちを
切り替えて乗り切って、全部やり切って
全国大会の切符は手に出来なかったけど
めちゃくちゃ感動して号泣してた
次の年のコンテストに向けて練習してたけど
コンテストの参加とかよりも
売り上げあげる事がメインで言われ
メイクもしながらそこも頑張って
次の年は自分の出場ランクが上がったので
予選落ち。そして、また売り上げの話。
沢山の人の協力もあり売り上げが
めちゃくちゃ上がってたから
独立しても良いとまで言われてたけど、
子供の頃から大人になったら
何処かに安定した会社に就職して
定年まで働かなければならないって
思ってたから個人事業主とか
全く考えられなかった
今思えば、その時からやり続けていたら
メークアップアーティストをやりながら
社長になってたんだろうなと思う(笑)
その頃就職活動が始まる時期でもあったし、
自由に楽しくメイクが出来ないなら
就職して趣味程度でメイクが出来たらいっか
くらいにしか思わず就職活動をして
医薬品業界に入った、、、
少し長くなったので続きはまた後日
ここまで読んでくれてありがとうございます😊