【自分の物語】続き


医薬品業界に入ったのは
いきなり飛び込み営業とか無理だと
思ったのでルート営業が出来る事と
ジェネリック医薬品を扱う会社で
有名になり出した頃だったから
安定、安泰、安心でここに決めた

営業経験は無かったけど
メイクで培った事が生きて
入社してすぐのデビュー戦で
いきなり会社2位の成績を収めた

その頃にお付き合いしていた彼女がいて
25歳で結婚して戸建てを購入して
欲しかったチワワを飼い幸せを感じていた
それから当時の最年少で主任になり
2年目から3年間はずっと
成績トップを走り続けていた

最初からキープ出来たわけではなく
同期や先輩達が仕事終わりに
飲みに行ったり遊びに行ったりしていても
自分は得意先の人や先生と食事に行ったり
昼間は受付の婦長さん達とランチに行ったり
ケーキやお菓子の差し入れしたり
陰ながらラポールを作る努力していた

謎に対抗業者の人達とも仲良くなり
ランチに行ったり飲みに行ったり(笑)
成績がいいから上司や他の課の課長からも
定時で帰ろうが何も言われる事なく
自由に過ごしてたけど、周りから見たら
面白くないみたいで仕事に行くと
『お前KYだよね!』って置き手紙があり
意味すらわからず人に教えて貰い
僻みや妬みとしか思ってなくて
悔しかったら超えてみろ!くらいにしか
思ってなかったし無視してた

当時はイケイケだったので
普通では考えられない主任が係長や
上司を会議室に呼び出したり
ボコボコに文句行ったりと今考えたら
かなりヤンチャでややこい奴だったと思う(笑)

5年担当した医院や薬局さんから
全く別の課の別の地域に移動になり
全社から見たお荷物の課に配属
上部では成績悪いから盛り上げろだったけど
実際は社長の気に入らない連中を
まとめた課で誰一人昇格出来ない
地獄の課だった

配属先はライバル会社がほとんど契約を
取っている地域だったので
自分が今まで培って来たノウハウでは
太刀打ちできず苦戦していた
そして、今までの『営業成績トップである』の
自分のプライドもボロボロにされた様な
気持ちになり、新しい配属先にも馴染む事が
出来ず、居場所がない様な毎日に耐えられなくなり、それから2年後に退職した

暫くは生活の為にバイトや派遣で繋いだけど
ある日奥さんから『家を出る』と言われた
どういう事かと尋ねると
『実は結婚してから生活費が足りず
借金を重ねている。収入も無いし
お金もないから一緒におれんから
離婚したい、、、』という事だった
まさか自分にそんなに借金があるとも
思っていなかった
何より、それなりに稼いで給料やボーナスを
全額入れていたし、自分は家庭を守って来たと
思っていたのに実は苦しい思いをさせていた
そして自分はその思いに気付く事すら
出来ていなかった、、、

そして1番大切な人が目の前から去っていく、、、

そこに耐える事が出来ず
お金の事だけならもう一度2人で
やり直したい!やり直せる!と伝えたが
奥さんの意思は固く、離婚を回避する事が
出来なかった

そして仕事も家庭も無くなり
自分に残ったのは家と借金のみ
それから昼夜逆転で軽く鬱にもなり
自分にカビが生えたんじゃないかってくらい
廃人になってたと思う

1人になり暫くしてからハローワークで
見つけた近所の材木屋で働く事になった
とても和気藹々とした職場で
沢山の建築現場に全員で協力して
各方面に配達をするチームワークも学べた

3年目になった時には
営業経験もある事から配送だけではなく
営業も任されるようになった
最初は新規で飛び込み営業
工務店やリフォーム店を探して
3ヶ月で500件くらい飛び込んだ
100件目くらいで初めて契約になり
嬉しかった事を覚えてる

この業界は基本的に全員現場に出る仕事で
病院みたいに常に誰かがいるわけじゃなく
歳をとって後継がおらず看板もそのままに
している工務店もかなりあるような業界
圧倒的な大工不足で重い汚いしんどいの
三拍子が揃った業界でもある
諦めずに頑張り売り上げ0円スタートから
1年後には何とか2千万くらいまで
売り上げが上がるようになってきた

営業を任される様になった頃
お付き合いをしていた彼女がいた
(今の奥さん)
最初はまた離婚してしまったら、、、って
めちゃくちゃ怖かった
仕事も軌道に乗り出したので
再婚することにした
再婚しても、もう2度とあんな思いは
したくない!
今度こそ苦労をかけず守りたい!
そう思って独立を視野に入れて
転職を考え出した。

医薬品業界にいた時も材木屋にいた時も
ずっと自分に『このままでいいのか?
自分にはもっと何かが出来るんじゃないか?
何がしたい?どうなりたい?』って
問いかけ続けていた

そんな時、材木屋で担当していた
お客さんから『将来独立考えてるなら
ウチに来ないか?仕事の流れとお金の流れを全部教えてあげるし見せてあげるよ』って
お誘いを受け、元々父親は一級建築士の公務員
将来父親と同じ建築関係での独立を視野に
現場管理と監督をして経験を積む為に
転職をした

再婚もして独立も視野に入れて転職して
順調に進んでいる、、、
そう思っていたけど
転職をしてからがまた大変な日々で
建築材料はわかるけど現場の段取りが
全くわからず現場作業も出来ない

職人さんにはこき使われ毎日パシリ状態
こちらが指示しても舐められてるので
指示を聞いてもらえなかったりで
かれこれ1年半くらいは我慢していたけど
段々自分の心がおかしくなっていくのを
感じていくようになり、そのうち自分が
おかしくなってる事にすら気付かないようになり自分を抑え込む事が周りと上手くいく方法とさえ思うようになっていた
時には辛くて車の移動中に一人で泣いて
現場や事務所に着いたら自分を押し殺して、、、

そんなある時、ふと自分に問いかけた

『お前本当にこれでいいのか?』
『やりたかった事ってこれだったんか?』って

すると『いや、違う!俺がやりたかった事はこれじゃ無い!』って自分から返ってきた

そして『このまま進んで後悔しない?
独立が簡単そうだから建築にしただけ?
本当は何がしたい?』って更に自分に聞くと

『もう何がしたいかわからん!
しんどいしキツイ!辞めたい!
でも自分が辞めたらまたあの苦しみを
繰り返してしまうし1人は嫌や!』って、、、

そして2年経つ頃には表情も感情も
無くなり、ただ会社の奴隷のように働いてた

周りから見ると再婚もして転職もして
独立する為に頑張っている順調な奴に
見えていたかもしれないけど、
自分の心はずっとモヤモヤしてて
自分の人生に満足できずに悩んでしまう
自分はもっとやりたい事が
あるんじゃないか?

自分にしかできない事を
求めていたのではないか?

そう思うものの
自分がやりたい事に挑戦すると
家族が離れていってしまうのではないか?
また大切な人を苦しめてしまわないか?
という不安

今になって思えば、
ひとりぼっちは寂しい
もう、ひとりぼっちになりたくない、、、
ずっとそんな想いを抱えていんだたと思う

だからその環境を維持できるなら、
1人にならずに済むのなら
『自分さえ我慢すればいい』を選んだ
我慢したくないのに自分に嘘ついて
我慢してるツケは当然来る

そんな時あるセミナーに出会い
一回人間に戻り、次に本来の自分に戻り
そして自分の使命をしっかりと認識し
最後に悔いのない人生を生きる事が
出来るようになる
人生のターニングポイントが訪れた

そこから一気に人生方向転換して
嘘のない本当に心から信頼できる
仲間達と出会い、お互いに磨き合えている

これは、ずっと、自分が望んでいた事が
現実になった瞬間でもあり
ここで出会えた仲間にも感謝でしかない
何ヶ月も連絡を取らなくても
話さなくても心が繋がってて
顔を合わせば何時間も色んな事を分かち合える
そんな有り難い仲間の存在

あの時は自分が何をしたくて
何が出来て何を望んでいるのかが
わからなかったけど、
振り返ったら出会ってきた沢山の人が
自分と同じような悩みを持っていたり
抱えている
そんな人達の『人生を加速させたい』と
思うようになった
関わった全ての人、自分の力の届く範囲
その人達と共に進みたい
そして、自分の経験してきた事
感じてきたり辛かったり悔しかったりを
超えてきたから自分にしか救えない人がいる
ここの1番辛い核心がわかるからこそ
伝えられる事が沢山あると思ってる

これが人を笑顔で輝かせるスペシャリストの
志事で自分が全力で生きる事で人生の
楽しさを伝えながら真っすぐに愛を
伝えている熱い男の生き様である


最後までお付き合い頂き
ありがとうございました😊

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#自分の物語
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