身障者にまつわる色々な問題。
私の母は足が不自由で、基本は杖をついて歩いている。杖で歩いていると邪魔にされることもある。わざとらしく目の前に割り込んで来たり、体にぶつかって通りすぎていく人がいる。
杖で歩くといっても、長時間は歩けない。
母のような体の人の20分の運動は、健常者1時間分の運動に相当するらしい。となれば、少し歩くのだって疲れるに決まっている。
だから商業施設などでは車いすを使う。駐車場は決まって身障者用のスペースを使う。使いたいのだが。
何台分かあるところであれば大概とめられる。しかし中には一台分しかないお店も存在する。
相手が身障者の乗った車だとわかればしょうがないねとなる話。しかし車の前方や後方、あるいは側面のどれにもマークがない車だとちょっと腹が立つ。
妊婦さんが乗っているのならばそういうステッカーがあるし、それらが何も貼っていないのであれば、こちらは「健常者が身障者スペースにとめた」と認識してしまう。
様々な自治体でそれを解消するべく、ゆずりあい駐車場の利用証を交付している。
本来ここはそういう人が利用するスペースなのに、関係のない人がとめてしまうことがあるせいで、わざわざ「私はこのような障害をもっています」とか「私は妊婦/足が不自由です」などという証明をしなければならないのだ。
もし本当に身障者スペースにとめなくても大丈夫な人がとめていなければ、ここにとめている車はどれも疑われなくて済むはずだ。
先日、ある図書館のスペースにとめた。二台分あった。私がとめた後、もう一台入ってきた。その車から運転手の男の人がおりてきたが、外見から見て障害などはなさそうだった。また、車に表示はなかった。
イオンでは、登録して使える身障者スペースの駐車場が存在する。全部のイオンであるわけではないが。
そこには住所や電話番号などを書いて登録しなければならない。また、母の手帳も提示させられた。
しかし他の登録なしでも使える身障者スペースはきっと、使わなくてもいい人も使っているはずだ。
店の入り口に近いから、とめる人が多いのだろう。
ある有名な観光地の駐車場では、手帳を見せないととめさせてもらえない。そうすれば必ずそこにとめている人は、正当な理由でとめていることが分かるからいいと思う。
あと最近いいと思ったのは、スペースの前にコーンがおいてあるので、とめるにはまずそれをどかさなければならないという駐車場。
本当にとめたい人は降りるだろうし、面倒だと思った人は別のところにとめるだろうからいいやり方だと思った。
さっき、フェラーリなどの車幅がある車は、許可をもらえば身障者の駐車場にとめられるという呟きを見た。それは知らなかった。
だからといって「そんな車で来るな、こっちが使えないんだよ」などと言う気はない。
しかし、例えば、理由があってとめていることを証明してくれるような紙をフロントガラスのところに置くとかしてくれたらいいと思う。
また、何台分かあるところならば、一番奥にとめるとか。
知らなかったら私も「なんでここに!?」と腹が立ってしまうと思うので、何か表示してほしいと思った。
駐車場にとめるときはいつもドキドキする。母は普通の人より歩くのが遅いから、普通のスペースにとめてしまうと、駐車場を行きかう車の進行をとめてしまうこともある。
だからこそ、身障者スペースの存在がありがたい。車いすを使うときも広くていい。
体が不自由で普通に歩ける人は、誰でもとめられるスペースにとめてほしいと、本当に思う。自分がそこにとめてしまったことで、辛い思いをして歩く人がいるかもしれないのだ。
また、同時に、車いすマークのついたトイレもだ。
子連れや車いすに乗った人が出てくることはいいのだが。一人で、あるいは親子連れでも体が不自由ではなさそうで、子どももそんなに小さくなければ(おむつをける必要のない)普通のトイレを使ってほしい。
車いすだと普通のトイレは狭い。また、杖もそう。
母は真後ろのカギをかけるとき、後ろを向くのにかなりスペースを使う。私のようにスムーズにクルっと向くことは難しい。そうすると、普通の個室トイレだと狭いときがある。
身障者用のトイレって基本男女のトイレより近いところに設置してあることが多いから、使われてしまうのかな。切羽詰まってると特に。
赤ちゃんもだけど、障害のある人への理解がもっとあるといいなと思う。あとよく珍しいからって身障者をじーっと見る人。本人はもちろんのこと、家族も傷つきます。母はなりたくてなったわけではないので。
やっぱり見られるのも嫌だけど、一番は道を開けてくれない人や邪魔にしてくる人かな。
最初にも書いたけど、杖を邪魔にする人。
母は過去に足を踏まれたこともあります。また、並んで歩く人がこちらに気づいてもそのまま歩き続けるとか。別に「おい!こっちは身障者だぞ!開けろ!」なんて言わないし思わないけど、少し避けるとかはできるよね?と思う。それすらもしてくれないのを見ると「ひどい人だな」という印象を受ける。
あとびっくりしたのが飲食店のドアを開けて母がゆっくり入ろうとしてるときに割り込んで先に入っていった人。びっくりした。
下手したら転びますよ。骨折とか簡単にしますよ。
遅いから早く入りたいのは分かるけど。ひどいと思う。
こちらもね、前もって後ろに人がいるのを知っていれば「先にどうぞ」と言うのですが、後から来た人が歩くの早いとこっちも気づけない。そうすると、もう進むしかない。戻る方が大変だし。
それをね割り込まれてしまうとやっぱり腹立つよ。ほんの数秒待てない?と。健常者は一瞬かもしれないけど、何も何分もかかるわけではないし、それでご飯が食べられなくなるわけじゃないし。
母が身障者になってから、世の中の冷たさに気づきますね。杖ついてる人の真横をスピードあげて追い越す車も怖い。
車道を走っている自転車もそれされると怖い。邪魔なのはわかるし申し訳ないけど。
もしよろけたらどうなるのかなと思う。
母は以前、歩いているときに大型犬が吠えてびっくりして転んだことがあるので、車も怖い。驚いてよろけて、簡単に立ちなおせる体ではないから。母が転んだら、支えがないと一人では立ち上がれません。半身まひでは無理。手も片方使えないから無理。
自分やその家族がなってみないと、その辛さはわからない。だけどあからさまに「それはやらない方がいいのわからない?」と思うこともたくさんある(足を踏む、割り込んでくるなど)。
母は外出が嫌いになったらしい。そりゃあそうだ。
スロープや手すりのない階段。急な段差。他にもたくさんある。
手すりも左右どちらにもあるといい。母みたいに片手まひしてると、上り下りのどちらかが辛いから。
あと最近思うのは、身障者用のトイレで、トイレットペーパーが結構な奥にあるやつや、替えのトイレットペーパーが上の方にあるとき。車いすでは絶対とれない。
母はよく「これ、身障者の人が試しで使ってみた上で作ったトイレ?」という。多分試してない。試してたらこんな設計じゃない。
うちの大学の身障者トイレの替えのトイレットペーパーは遥か上です。きっと健常者でも背が低い人なら取れないかも(笑)。ありえないでしょ。身障者用のトイレの意味ないだろ。
実際学内には車いすの学生さんがいるので、正直大変だろうと思う。スロープは入り口から遠い。トイレはこんな感じ。エレベーターは学生がごった返す。しかも狭い。
イオンとかのエレベーターって広くていいけど、狭いと辛い。前から入って方向転換できない。できなくても出るとき怖い。
最悪なのはギリギリ乗ってくる人。これは身障者が乗ってなくても嫌なはず。満杯のエレベーターに無理やり乗ってくる人ってなに?
車いすで乗っていると押している私が押されるし、母の足が危なそうだし。少し待ってくれないかなと思う。
だからいつもこちらが状況判断しなければならない。並んでて後に大人数が並んだら先に譲る。相手が譲ってくれるとは限らないからだ。無理やり乗ってくることもあるし。急いでなければ譲る。
この間もベビーカーが乗った後、おじいさんが乗ろうとしていて。
次のに乗ろうと待っていた私たちにおじいさんが「乗らないの?」と聞いてきた。乗らないですと答えたら不思議そうな感じで乗って行った。
変だと思っただろう。乗れるのにって。わかる。
まずベビーカー乗ってるし、降りるとき遅くて迷惑かけるから譲ったのだ。
中には「先に降りて」って言ってくれる優しい人がいるのだけど、大抵バックで降りるので時間がかかる。よく、エレベーターのすぐ目の前に並んで待っているひとがいるので、降りるときは結構緊張する。あるいはもうニりこもうとする人、地下鉄とかでもよくあるアレ。
そうすると降りるのに時間がかかるので申し訳なさが勝つ。
私的には先に降りてほしい。譲らなくていい。こっちのペースでゆっくり降りるから。
中には「先に譲ってほしい」と思う身障者の方もいるだろうから難しい。だから、降りるのが遅くても多めに見てほしい。
などなど、いろいろなことを書いてきた。私が望むのは「譲れ」じゃなく「邪魔にしてひどいことをしないでくれ」ということだけだ。
譲ってほしいとは言わない。体が不自由でなく普通に歩けるなら身障者駐車場にとめないでほしい。トイレもそう。そして邪魔にして露骨に嫌がらせ(だとこちらは認識してしまう)をしないでほしい。
あと、じろじろ見ないでほしい。「こういう人もいるのか~」ぐらいでいてくれたら一番うれしい。見るなとはいわない。
けど、過去には母を上から下までじーっくり見た貴婦人がいたので腹が立った。祖母が「何か?」と聞いたら黙ってどっか行ったけど。そういう風にするなら最初からじっくり見なくてよくない?
ただそれだけ。優しくしろなんて言ってない。ただ身障者用の駐車場やトイレが誰の何のために設置されているかを理解し、自分のことだけを最優先に考えていなければ、自ずとこちらが悲しい気分にはならないはずだ。
杖をついている人を見たら少し後ろを歩く、それが遅くなって嫌ならばある程度距離を開けて早すぎないスピードで追い抜いてほしい、それだけのこと。
健常者のやりたいことを妨害したくはない。ので、健常者もこちらを妨害しないでほしいなと思う。ただ、ひどいことする人は論外。