「あきらめる」ってダメなの?
私は”あきらめやすい”性格だな。
これがうまくいかないマイナスな要素だ、と思いつきました。
あきらめやすいのは、心理的な要因があるみたいです。
幼い自分を守る術として身に着けたのかもしれません。
でも、生きづらい理由や解決できない問題って
どこにでもありますよね。
やはり、あきらめちゃったらダメなんでしょうか。
ちょっと待って!なんか気になる。
「あきらめる」ってどういういうこと?
🔰「あきらめる」ってなに?
まずは初心に戻って辞書で調べよう。
ふ~ん、なるほど!
明らかにする、と言う意味もあります。
考えてみたらたしかにそうかも。
🔰では『諦』という漢字も調べてみよう。
すばらしい!!
『諦』は仏教用語に!
「あきらめる」は、超絶ポジティブなポジティブな言葉だった。
驚きです!
😅「あきらめる」を使いたくなった。
でも今までネガティブに使っていたから
「あきらめる」と言ったとき
そっちに引っ張られる気がする。
アタマの中に
「真理はそこにあるんだよ」という大人の心が聞こえてきたのに、
「もう無理だ、やめちゃえ~」っていう子どもが騒ぎ出す。
みたいな(笑)
もう少し核心的ななにかを見つけてみよう。
そうだ!
👍いつもの”なんちゃってカタカムナ”で考察してみよう!
(カタカムナは言霊の力で思念を読むことで、宇宙の真理を見るという神秘の世界です。なんちゃってカタカムナでは、本を参考にしながら自分で文字の思念をつなげてみます。)
上から繋いで思念読みをしてみました。
■「あきらめる」
感じるエネルギーの場が(目的や目標に意識を向けて)思考して留まる
■「あきらめやすい」
感じるエネルギーの場が(目的や目標に意識を向けて)思考して
飽和し一方へ進んで伝わる
と、いうわけでいい感じです♪
言葉に目的意識をしっかり持っているのがよくわかります。
問題は、何の目的に向いているかです。
仏教用語になるだけの言葉だなと思いました。
😁もっとあきらめよう!
今まで「子どものあきらめ」の声ばかり聴いていた。
実は「大人の諦」がいつも同時にそこにいた。
見守ってくれていた。
両面が常に存在していたということです。
これからは、もっとあきらめますっ👍