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「あきらめる」ってダメなの?

私は”あきらめやすい”性格だな。
これがうまくいかないマイナスな要素だ、と思いつきました。

あきらめやすいのは、心理的な要因があるみたいです。
幼い自分を守る術として身に着けたのかもしれません。
でも、生きづらい理由や解決できない問題って
どこにでもありますよね。
やはり、あきらめちゃったらダメなんでしょうか。


ちょっと待って!なんか気になる。
「あきらめる」ってどういういうこと?



🔰「あきらめる」ってなに?

まずは初心に戻って辞書で調べよう。

動詞
あきらめる【諦める】

(他動詞) 望んでいることが実現できないと考えて望みを捨てる。絶望する。
断念する。放棄する。やめる。投げる。
出世を諦める
やむを得ないと考えて状況を受け入れる。つらい気持ちを忘れる。執念や向上欲などを捨て去る。
犬にかまれたと思って諦めなさい。
人生をあきらめて生きる

動詞
あきらめる【明らめる】

明らかにする。明白にする。解明する。
が、そうした単語だけはわかっても、前後の文句は、彼らの乏しい力では一向に解しかねた。一句一章を、春の長き一日、考えあかしても、彷彿として明らめられないことがしばしばあった。(菊池寛『蘭学事始』)

ふ~ん、なるほど!
明らかにする、と言う意味もあります。
考えてみたらたしかにそうかも。


🔰では『諦』という漢字も調べてみよう。

『諦』
画数:(16)
音テイ 外タイ
訓あきらめる 外つまびらか・まこと
意味:①あきらめる。のぞみをすてる。断念する。「諦念」 ②あきらか。つまびらか。「諦視」 ③まこと。真理。「真諦」
下つき:真諦(シンテイ)・(シンタイ)・俗諦(ゾクタイ)・妙諦(ミョウテイ)・(ミョウタイ)
なりたち出典『角川新字源 改訂新版』(KADOKAWA)
形声。言と、音符帝(テイ)とから成る。明らかにする意を表す。

諦(たい、梵: सत्य, satya、サティヤ、巴: सच्च, sacca、サッチャ)とは、仏教において真理や悟りを意味する語。

すばらしい!!
『諦』は仏教用語に!
「あきらめる」は、超絶ポジティブなポジティブな言葉だった。
驚きです!


😅「あきらめる」を使いたくなった。

でも今までネガティブに使っていたから
「あきらめる」と言ったとき
そっちに引っ張られる気がする。

アタマの中に
「真理はそこにあるんだよ」という大人の心が聞こえてきたのに、
「もう無理だ、やめちゃえ~」っていう子どもが騒ぎ出す。
みたいな(笑)

もう少し核心的ななにかを見つけてみよう。


そうだ!

👍いつもの”なんちゃってカタカムナ”で考察してみよう!


(カタカムナは言霊の力で思念を読むことで、宇宙の真理を見るという神秘の世界です。なんちゃってカタカムナでは、本を参考にしながら自分で文字の思念をつなげてみます。)

あ 18 感じる・生命
き 29 エネルギー・気
ら 31 場
め 10 指向・思考・芽
る 12 留まる・止まる


や 15 飽和する
す 21 一方へ進む
い 5  伝わるもの・陰

カタカムナ言霊の超法則より

上から繋いで思念読みをしてみました。

■「あきらめる」
感じるエネルギーの場が
(目的や目標に意識を向けて)思考して留まる

■「あきらめやすい」
感じるエネルギーの場が(目的や目標に意識を向けて)思考して
飽和し一方へ進んで伝わる


と、いうわけでいい感じです♪
言葉に目的意識をしっかり持っているのがよくわかります。
問題は、何の目的に向いているかです。
仏教用語になるだけの言葉だなと思いました。


😁もっとあきらめよう!

今まで「子どものあきらめ」の声ばかり聴いていた。
実は「大人の諦」がいつも同時にそこにいた。
見守ってくれていた。

両面が常に存在していたということです。

これからは、もっとあきらめますっ👍