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初めに読むこと【noteに投稿する私の記事等の著作物の閲覧・引用及び利用・実践等の注意事項】(2023年5月25日更新)


 

 私にとっては 突然のほうだった。しばらく音楽関連の記事を 投稿出来ないくらいショックが大きかった。死屍ししむちつような苦言になるが、❝ 自己の老体へのいたわりに留意すれば、まだまだ やれたはずだ!❞ と 言いたい。小澤征爾 が亡き後、秋山和慶 は 日本のクラシック音楽界を代表する数少ない世界的な指揮者のひとりだった。

 これは 私事であるが 1988年の夏の話だ。阪神地域でピアノ音楽文化教育事業に携わっていた西山だが、三善晃 氏を招いて『子供のためのピアノ・合唱作品展』を兵庫県の宝塚で開催した。作品展の開演は PM12時30分なので、打ち合わせを兼ねて 早めの昼食会ランチぜんてた。三善晃 氏からは ざる蕎麦そばのリクエストがあり、AM11時に 駅前の老舗しにせへ案内した。この店は 正月と最寄りの大きな寺の祭りの日を除いて、女将おかみまぐれでしか営業しない。

 「 富士をテーマにした音楽を作曲することになりました。会長西山先生は 富士山について どのような 心境をお持ちですか?」
 
 三善晃 氏は ❝ わらべしん ❞ のような ざと若造わかぞうだった 昔日せきじつの 西山に対しても、このように さくに話した。

 テレビ静岡開局20周年記念事業委嘱作品、 管弦楽のための(富士山に寄す)交響詩『連禱れんとう富士ふじ』❝ LITANIA pour FUJI, Poeme Symphonique pour Orchestre ❞ の FP初演を間近に控えていた三善晃 氏であったが、このころは この作品の最終的な音の構想の推敲段階だった。名刺を頂戴したが、当時、桐朋学園大学の学長だったはずのその名刺のづらには 肩書かたがきしるされていなかった。

 交響詩『連禱富士』は 1988年9月に小澤征爾の指揮でFPされた。そして、1991年10月、国連の指揮台に立ったのが 秋山和慶だった

 秋山和慶 氏は 代表的なクラシック音楽や 邦人の現代音楽だけではなく カナダなどの海外の現代音楽も 精力的に演奏する国際色豊かなレパートリーを持った指揮者であったが、東京をはじめ、大阪、広島、札幌、中部(愛知)、岡山、九州(福岡)のオーケストラの指導や運営にも尽力した。西山は 大阪育ちなので、朝比奈隆 氏らと共に 大阪出身の作曲家、松下眞一 氏などの現代音楽の素晴らしい作品を聴かせてくれた取り組みには 敬意を表したい。

 
 だが、秋山和慶 氏が 大阪出身のこの作曲家(千億祥也 氏)の作品を置き去りにしたまま 帰天してしまった口惜しさが 西山には残っており、誠に悔やまれてならない。

 
 死の発端は 重度の頚髄損傷だったと聞くが、秋山和慶 氏だけではなく、フジコ・ヘミング 女史 や 一柳慧 氏などは 高齢であっても、日本の貴重な文化的人材だった。彼らの 社会復帰が不可能になるような不慮の事故は 国益にかなう芸術活動を停止させる。行政は 早急に対策を講じるべきである。


 
  ─── また、ひとり … 私たちは 我が国(日本)の音楽界の尊い巨匠を 思いけず うしなってしまった。この悲しみは 最早、筆舌に尽くし難い。ただ、死んだ人間は 戻ってない。今は 心をおだやかにして、 りしの 秋山和慶 氏の雄姿を 感慨深く 共有 出来れば幸いである。

👉 秋山和慶 氏のご冥福をお祈り致します|YOGAで活きていく人生を応援する/伝統ヨガ芸術プロダクション芸術監督 西山弘一

 
  ───  つつしんで、秋山和慶 氏の音楽活動の功績を讃えたい。



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