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プレゼント

当時、その地域に住む少年たちにとって、どちらを支持するかは、自分が属するグループや付き合う友人を左右する大きな決断だった。常勝軍団の読売巨人軍か、地元九州の弱小球団クラウンライターライオンズか。言うならば「強いミーハーか弱くても地元愛か」の選択であった。クラス内の男子の言い争いは、数的にはほぼ互角に見えた。が、いかんせん一方は毎試合がテレビ放映され、王・張本・堀内・新浦・小林繁などキラ星たちをあの長嶋監督が率いる銀河系軍団であり、他方は地元ですらテレビ放映はほぼゼロで、ファンですら東尾・竹之内・若菜以外の選手名がなかなか出てこないような地味な球団である。言い争う男子たちのネタの厚みの圧倒的格差は如何ともしがたく、最後は必ずクラウンライター派が言い負かされる展開になる。当初は支持球団が無く中立だったぼくは、判官びいきもあったのだろう、少し褪せた赤と白で彩られたCLロゴの野球帽をいつしか頭にのっけるようになっていた。

当時はセパ交流戦制度はなく、しかもライオンズのサテライト球場でしかない北九州の小倉市民球場で、あの巨人軍が公式戦を戦うことなど当然なかった。しかし、77年だったか78年だったか、あのスターたちがオープン戦のために北九州の地に舞い降りたのである。迎え打つのはもちろん地元クラウンライターライオンズ。北部九州全土の男子たちの脳内はそのオープン戦一色になった。そんなある日、会社から帰宅した父が、何事でもないかのように「巨人の試合、行くか?」とチケットを二枚ひらひらさせながら帰宅してきた。その瞬間、ぼくは強烈な息苦しさを感じた。それは嬉しさという感情だけで片づけられるものではなく、あくまで話題でしかなかったことが突然現実として覆いかぶさってきた圧迫感であった。自分が知っている空間にあの選手たちが足を踏み入れるという現実感の無さは、当時のぼくにはとうてい消化できるものではなかった。オープン戦当日は風が強くてとても寒い日だった。少年の目にもあまり強そうに見えないCLキャップとだれもが知るYGキャップが半々を占める市民球場で、右翼外野席の後方から両軍の選手の動きをなにひとつ見逃すまいと必死だった。最終回より前の試合内容はほぼ覚えていない。そこにあの選手たちがいる、という事実だけで、故郷を一歩も出たことのない少年にとっては恍惚とも言うべき衝撃だった。

さて、試合は最終回のライオンズの攻撃。先頭打者が凡退して一死。そこでそれは起きた。外野席から高さ3メートルはあるはずのフェンスを飛び降りる乱入者。普通ならここで、「警備員が駆け付けて追いかけっこの末、御用」となるところだが、この球場では違った。その乱入者に後追いする者が出る。それをまた後追いする者。そのうち乱入経路が増え始め、グラウンド上はわずか数十秒のうちに数百人に。ベンチに逃げ帰る守備側巨人軍の選手たち。。。試合途中の乱入者がひとりやふたりどころではないことや、結局試合がそれで中止になるという事実もなかなかだが、修羅の国とまで称されるヤンチャな土地柄だし、そこまではある意味個性として、まぁ、ギリ理解しよう。さらに驚愕だったのは、その乱入者たちの全員が三塁側ベンチに殺到していたからだ。全員である。逃げ惑う巨人の選手たちの体をべたべたと触って握手を求め、あまつさえ帽子やグローブをもらおうとまでする群衆の頭の上には、YGキャップとCLキャップの区別は無かった。九州北部の各地で毎日行われていたはずの、あの侃侃諤諤のミーハー対地元愛の議論は一体なんだったのか。。。また、あとで考えると、地元ライオンズベンチの選手たちの心境はいかばかりだったか。エリートチームの前でこの乱痴気騒ぎを起こしてしまったホストチームとしての立場。そして、乱入者とは言え、だれひとりホームチームである自分たちに駆け寄らないという現実。

と、もう40年以上も昔の話なのに、そのときの揺れ動いた感情は鮮明に脳に残っている。今年もクリスマスを迎え、子供たちにどんなプレゼントをしようかと考えていたとき、ふと「ぼくは子供たちの感情に刻み込むようなプレゼントをあげたことがあるのだろうか」と不安になった。父はあのオープン戦から間もなく病気で他界した。


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