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心の一番深いところの自分を見つけたハナシ

前に親との関係性を見直したと書いたと思う。
おかげで目にみえる現実的にもいろいろなことが改善してきている。

けれど、何故かどうしても心の中が100%スッキリとしない。
どこか薄ぼんやりとモヤがかかったままの部分があって、
何かひとつ大事なことが抜けている感覚。

相変わらずヒーリングクライシスで病気やトラブルは続くし、
「ない」と思っていた親の愛情が「ある」と分かったけれど、
正直、どこか何となくまだ引っ掛かるものがあって、不思議な違和感が
ずっと残ったままなんである。


ハナシは変わるが、先日混んでる病院の待合室で赤ちゃんがやんちゃを言ってギャン泣きしていた。
最近、実は子供が苦手なのでは無くて、その親の対応や態度に嫌な感じを覚えていることに気付きはしたものの、さすがに1時間近く続いた大音響でのギャン泣きは耐え難く、たまらず順番をキャンセルして外に出てしまった。

以前ならばここで「だから子供って嫌なのよっ!」とただ怒って終わったと思う。
が、今は違う。
何故なら私は、目の前の出来事は全部じぶんの内側という思考回路を手に入れたのだ。

早速思いをめぐらせてみる。
初めはギャン泣きをさせていた母親の方に着目してみたが、どうも心の奥からの返答はない。

そうか。
もしかしてこのギャン泣きしている子供自体が、自分の一番奥にいる自分自身。
何かを訴えたくてギャン泣きしている自分なんだな。

何を訴えたいの?
と聞いてみる。

と、ふと気づく。
親との関係性において、親の愛が「なかった」と思っていたのではなくて、
本当は「ある」ことが分かっていたから余計に苦しかったんじゃないか。
そう、全部わかっていたからこそ、苦しかったんじゃないか。

そして、それを誰かに分かって欲しかった。
でも、誰にも言えなかった。
だから暴れた。
まだ喋ることができない赤ちゃんのように、
やんちゃを言って何かを訴えたい子供のように。

そしてここで疑問が残る。
どうしてそれを言えなかったのか。
答えは、親の愛があることを知っていたからこそ、それ以上何も言えなかった。
自分の欲しいものとのギャップを飲み込んだ。
そして、そう思う、いや思ってしまう自分を責め続けた。
だって親のことが誰よりも大切で大好きだから。

これが心の奥にあった私の怒りそして悲しみだった。
これが私の心の奥のじぶんがずっとずーーーっと訴えていたことだった。

やっと気づいた。

「今まで苦しかったよね。ごめんね」と声を掛けたら、
めちゃくちゃ泣けた。

あぁ。
やっぱり心の一番硬くて暗くて奥底に沈んでいたのは
これだった。

やっと見つけた。
心の奥の本当の自分。

ありがとう。

そして、おめでとう。


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