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言語化するってこと。
心の奥の奥にある暗くて重いものを癒すって、とても根気のいる事である。
自分が一体何に対してどんな感情を大事に持ち続けているのかを
そもそも全く気づくことすら出来ない場合も多いからだ。
けれど自分のもやもやの原因が何であるか、何に足して、怒りだとか悲しみを持っているのかを「言語化」することで、癒やされていく。
言語化する=表面に出す=癒しが可能というカラクリだ。
先日の自分の心の奥の一番深いところのいわゆる傷も、何十年もかけてやっとこさ表面に出すことができた。
紆余曲折やっとの思いで「言語化」できた。
諦めず、怖がらず、自分の内側と向き合うことができたおかげ。
これは、実感している。
そもそも。
じぶんの一番苦い部分というのは、誰にも触れられたくない、自分でさえ触れたり思い出したり、ましてや向き合うことなんてしたくないものなんであるけれど、
目の前の現実を何とかしたい覚悟があれば、これも可能になるんだということ。
だが、しかし
それを分かっていても出来ないってこともある。
ここがまた厄介なんだけれども。
私とて、今まで何十年もかかって、わかっていたいものの言語化できなかったのは、これまた理由があって、そうすることが怖かった、そして究極、
「そうしてはいけない」いという罪悪感があった。
逆に言えば、簡単に言語化できることというのは、割と浅い部分のことなのかもしれないとも思う。
自分のいちばん触れたくない部分というのは、なかなか表に出てこない。
薄皮を丁寧に丁寧に下手すると丸ごと傷がついてしまうものを何年も(私の場合は何十年であるが)掛かって剥がしていく。
そんな奥の奥のそのまた奥のほうにこの塊はすぐっているのだから、
たまったものじゃない。
でも。
とにもかくにも、
この、言語化するということの効果は絶大だから、
諦めずにチャレンジしていくこと。
それが大事。