4月某日(土)
勤めている会社には土曜日出勤というのが月に一度ほどある。
普段は7時30分に出勤なのだが、今日は通常の8時30分に出勤。
土曜日出勤の日の昼食はパンを食べていいというルールを自分の中で決めているので、コンビニに寄ってチーズの蒸しパンと砂糖の入っていないカフェラテを確保する。
何となく3日ほど前から北海道のマークがついたあのチーズ蒸しパンが食べたいなと狙いを定めていたけれどあいにく無く、プライベートブランドのものを買う。
会社の庭は、春になるといろいろな花が咲く。
チューリップ、ムスカリ、たんぽぽはもちろん、今日はスズランが咲いているのを見つけて思わず写真を撮る。
冬は枯れて静かな庭からひょこひょこと顔を出す花の不思議と、球根の類などは誰かが植えたのだろうかとその姿を想像すると愛おしい。
今年も咲きましたよーと当て所なく思う。
昨年の初夏にはアスパラの目撃情報もあった。
会社のトイレに設置されているトイレットペーパーの残量が、今日家を出る前に感じた自分の家のそれと似ていて一瞬思考が混乱する。
終盤ではあるものの、使い切ったり取り替えるほどにはまだ遠い、微妙な残り具合。
まさかトイレットペーパーによって自分の現在地点を確認する事になるとは思いもしなかった。
土曜日人もぽつぽつと欠けていて静かで、今日なんかは色々な人が東京に出張に出ているので私のデスク周りには特に過疎化していた。
上司から仕事が終わったら帰ってもいいよと言われマジですか、えへへと返すも、今日のために取っておいた文章を書く業務をじっくりと推敲すべく終業まで時間をあてた。上司は1時間早く帰った。
東京支店の若手社員の同僚かわいこちゃんから完成見本の本が送られてくる。
愛されて育ったんだなあと思うまばゆい子で、無礼講の席になるとどうしたってへらへら愛で倒してしまう努力家でみずみずしい彼女。
手紙には良い本ができたこと、きっと好きだと思うので読んでみてほしい旨が綴られており、
好きそうという理由でもの、こと本を贈られるのはなんと嬉しいことかとにやにやしてしまう。
自分はその関係性が嬉しいと感じるんだなと知ったのは、長い友人が結婚祝いとしてヨギボーのクッションソファを贈ってくれた時だった。
小さな部屋の床のいくらかを占めるクッション。
贈ってもいいだろうと思ってもらえたことが嬉しく、今もそのクッションにもたれながら日記を書いている。
昔付き合っていた人から事あるごとに部屋に柔らかいものがないと指摘されていたことも思い出す。
確かに私は大きな家具や、リラックスするための柔らかいものを自分で選ぶのが苦手なのかもしれない。
なので、なおのこと友人が選んでくれたヨギボーを重宝している。
同僚が送ってくれた本は私家版のようで、裏表紙にバーコードなどの文字情報がなく、まっさらで美しい。
書店時代にはなかなか出会えなかった光景だ。和田誠の言葉を思い出し腑に落ちる。
一種類の紙をとても表情豊かに活用されていて、確かに良い本だと感じ入る。
内容には触れられないが、内容の重さを重くしすぎない、しかし歴史が綴られた重厚感はしっかりと造本に反映されていて、何度もしげしげと見る。
きっちりと就業時間に退勤し、ビールを飲む。明日も働くのだ。