『虎に翼』59話 「やだ」の効能
今期、初めて自らの意思で、所謂 朝ドラを見ている。
NHK朝の連続テレビ小説「虎に翼」。
放送前の告知期間、市内にあるNHKビルに貼り出されていたポスターにピンときて、
オープニングアニメーションがシシヤマザキさんということにピンときて、見始めるとあれよあれよとコロリした。
いつも始まりにぼんやりと画面に浮かぶ文字に小説なんだな、粋だなと思う。
昼休憩の時にほとんど無意識でThredsを開いては、今日放送された回のネタバレに遭う。基本的には毎晩見ることを楽しみにしているのだけれど、昨夜は見ずに溜めておいた。
Thredsの、おすすめとしてタイムラインに流れてくる見知らぬ人の投稿によると、どうやら伊藤沙莉さん演じる主人公・寅子の母・はるさん(こちら演じるは石田ゆり子さん)がこの世を去るそのいまわの時を描いた二日間だったようだ。
ここまで同ドラマのSNSで泣けると騒がれていたシーンについても、ただただ’’ドラマを見る’’の姿勢でやってきた。
そもそもドラマを見ることが習慣に組み込まれておらず、次の回を待ち遠しく思うものの、それは単純に娯楽やカレンダー的を追うような感情だ。
しかし今日の「虎に翼」に息を呑み、動揺し、涙をこぼした。
はるがいよいよ最期の時を迎える、そのそばを離れまいと頑なな寅子。
途切れ途切れになる声や意識の合間に、自分が死んだ後のことを語るはるに対して、堰を切るように寅子の口から「やだあ、やだあーー!」と唸るような叫びが放たれた。
「子どもじゃないんだから・・・」と呆れながら笑むはるの事もお構いなしに、寅子はやだあ、やだあとうわ言のように繰り返す。
私は誰か大切な人を看取ったことは無く、そのシーンを自身と母に置き換えると寅子のその絶望は計り知れない。
しかしこの「やだ」の引力を私は知っている。身に覚えがある。
年を重ね、多くの人と円滑に日常を送るために相手の様子を伺い、言葉を慎重に選びとっていると、自分自身の純粋な感情を曝け出す場面というのは滅多に無い。
しかし人生の歩を進める中で拒みようのない大きな悲しみに対峙する直前、体の底から出てくるのは「やだ」という音なのだ。
大人からこの「やだ」が発されている時だけは、相手よりも自分の感情を優先していて、そしてその音は相手に向かって放たれているだけでなく、自分に対して言い聞かせているようにも思う。
イメージとしては「いやだ」と体の底から迫り上がるような音を出しながら、それは空気を含みまあるく膨らんで、自分の周りに薄い膜が張られていくような感覚。
「やだ、やだ」と繰り返しながら、少しずつ整理をしている。覚悟をしている。膜を何層にも張って、来たる衝撃に備える。
ほんのひとときその膜に包まれて安心するも、それは次の衝撃によって張り裂け、いよいよ耐えきれないような悲しみが向こうからやって来る。
「やだ」と口に出すことの効能は、その瞬間だけははるさんのいう’’子ども’’に戻って、自分を慰めるように発される事にあるんじゃないかしら。
とにかく、びっくりしてしまったので衝撃でまだ脳みそが揺れたたまま書き残しておく。
悲しみを抱いて生きるということは美しいことである、と若松英輔『悲しみの秘儀』で綴られていた。
寅子と、このドラマに出て来る、画面の隅に映る市井の人たちのこの先の人生が美しくあるよう願う。