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5月某日

日記を書こうとパソコンを開くと、新しいパソコンの匂いがする。
日常生活ではなかなか嗅ぐことのない、クリーンすぎるにおい。これが結構好きだ。

冷蔵庫を開けると、入れっぱなしにしていたノドグロの開きの匂いで満ちている。
大体においてラップが甘いんだな。
匂いに釣られて記憶が呼び起こされる。
ノドグロの開きが、まさか大阪に住んでいた祖父母の家を思い出させるとは思わなかった。

今の時期は通勤路にニセアカシアがわんさか花を咲かせていて、いつも鼻を聞かせてその尻尾を掴もうと静かに必死だ。
こちらに住むまで馴染みのなかったニセアカシアの匂いは初夏を感じさせる。

匂いは記憶に密接に結びついていると聞くけれど本当にその通りだなと度々実感する。
面白く感じるのは、記憶がそれっぽい匂いで引き出されること。

上司が出張だったので、いつも二人でしている業務を一人でする。

同じような状況に置かれたとき、一年目は歯を食いしばりすぎてその後一週間ほど奥歯が痛かった。
2年目はとてつもなく時間がかかり、集中力が切れ、後工程を待たせているというプレッシャーにぐったりした。
よくトイレに駆け込み泣きながら壁を蹴ったりしていた。

今年、3年目に入り、かなりスムーズに自信を持って業務を遂行する事ができたと思う。焦りは依然禁物だ。
計算と集中力。大雑把で集中のしどころを自分でもコントロールできなくて困るのに、向いていないとは感じながらも3年続けると自分のものになり始めるんだなと感心する。

休憩時間に外に出てコンビニへ行くというイベントを作ることに味をしめ、今日も出かける。

親子丼と卵かけご飯風のおにぎりを選び、また間違ってしまった感が否めない。
白米のおいしさにはいつも新鮮に驚くが、今日は昨日の熱い弁当の反省を踏まえて温めの時間を半分にしてもらったところ、白米のポテンシャルを台無しにしてしまい申し訳ない気持ちになった。

会社にやんわり注意をされる前にこのブームを終えなければ。
というより、壮年の女がこんなに米を摂取していいはずがないのだ。

明日は4時起きで日帰り静岡に出張に出る。
目的は工場見学で、長く願っていたのに最近あまりにもとんとんと話が決まって肩透かしを食らったように、少し気持ちが萎れていた。

そもそも私の立っての希望であるのに、私は車の運転ができず、そして多忙を極める人たちを巻き込んでしまったような気持ちでバツが悪い。
しかし昼食にさわやかに行こうという話になり、俄然楽しみになっている。

遠足のようにお菓子を買って行こうかしらと思って楽しい気分になって、実際にはしない、しなくなった。
これもまた変わったところだなと思い、そこにはおそらく底の方で諦めの感情が澱んでいて、寂しく思う。


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