4月3日(水)
時たま家族が登場する夢を見る。
連絡無精なので、母が夢枕に立つかのように捉えていて、そういう夢を見始めるとそろそろ電話をしなくてはなあと思うひとつの基準にしている。
父親とは生き別れていて、それ以降基本的に夢なのにきっちりとひとり欠けていて可笑しい。
起き抜けに窓をあけると新鮮な空気というのを味わいやすく、最近取り入れてみたけどいつも体が微妙に冷える。
季節の変わり目はいつもぎこちない。
近頃、息継ぎをするように著書や作品を読み漁っている古賀及子さんの文章のなかに、
「子どもの内心というのは暗いものだと思っている」(『ちょっと踊ったり すぐにかけだす』)という一文があって、
子どもの無邪気な明るさ、ほかにも家族が仲良いものだとする、いつどこで決議されたのか分からない表現にいつもクエスチョンマークを浮かべていて、そこがすごく好きだ。
彼女の文章は明るい。作中で綴られる家庭も賑やかで幸せそうだ。でも彼女の底には暗い内心をもつ子どもがずっといて、その子を慰めるように努めて明るく振る舞っているように感じていて、努力家だなと思う。
日中調べものをしていて和田誠の手掛けた絵本を眺めていた時にふと合点がいった。
彼の描く子どもは基本的に無表情。
絵本などでよく使われる、にっこりとした顔のものはあまり見ない。
和田さんと古賀さん、二人の表現に惹かれる理由がばい〜んと接続されたような瞬間に気持ちが明るくなる。
そうだ、子どもは明るさだけではない。
大人と比べて、ずっと初めてが多いから緊張したり、日々の目まぐるしさにぐったり疲れたりしていて、でもそれが何故なのか理由が分からないから凝りを解きようがない。
自分に関わる子どもたちにも、出来ることなら嫌な思いをせずにずっとにこにこしていてほしい。
けれどそればかりではいられないから、せめてその漠然とした不安や暗さを見つめられる大人がいることは子どもにとって救いになるんじゃないか。
今読んでいる朝吹真理子さんの『TIMELESS』にも、子どもが外食の席で美味しい美味しいとたくさん食べていたかと思うと、いきなり静かに吐き出すというくだりがあって、物語の主流からは外れてしまうけれど、その描写にも頷き好感を抱いている。
会食の席で、子どもは張り切って食べ過ぎることがあるだろう。よく食べると大人が喜ぶと知っているから。
私も昔、親戚が喜ぶからという理由でスイカの皮の白いところまで齧って見せたし、祖母の流儀にならって冷めたトンカツを冷やご飯をおかわりして平げたりした。
懐かしい暗さに遭遇してしまい、大人になって良かったと心底思った。
さて、行平鍋の取っ手がゆるゆるだ。
長らくだましだまし使っているのだけど、今日一日どうにもお腹が満たされなくて茹でた伊勢うどんの残りを椀にあげようとした時に取っ手が回転して湯と共に膝に落ちた。あっっつ・・・くなあ〜いと一人で茶番をする。
そして今日はダブルワークの申請書を職場に提出してきた。
副業の理由の欄には「興味のあるモノづくりの分野で新たな知見を得ること、また新たに交流関係を築くことで、より張りのある充実した生活の実現を目的とします。」と記入した。
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