心の奥底にある澱

親戚の方と40分ほど話した。俺一人と親戚の方と話す機会なんて、滅多にない。殆ど無い。それは、俺が親戚の方と顔を合わせるのを避けてきたからだ。

昔から苦手意識があった。怖かった。その理由は割愛する。あと、ニート生活をしていることもあって、顔を合わせるのを拒んだ。とにかく、親戚とはここ10年は疎遠だった。

しかし、事が事だ。父の様子が芳しくない。その局面で、俺の個人的な事情はどうでもいい。苦手意識を感じていた親戚と、面と向かって話した。

色々話した。父の容態、父の最近の様子、俺自身の抱えている病気、これまで俺が親戚にしていた態度、高齢になった親戚の身の上話、それと祖母のこと。直近のことから、10年以上遡る問題についてなど。これらは全て、いつかは俺が向き合わなければならなかったもの。心の奥底に溜まっていた澱だ。それを今さっき、思いっ切り撹拌した。問題を浮上させた。直視するために。俺と親戚、お互いに共有するために。

親戚は思いの外、優しかった。今の俺には救いにも思える程に。心細い気持ちも少し和らいだ。ただ、当然、俺の常識的に至らない点も指摘された。そこは素直に受け入れる。不愉快な気持ちは無かった。父の話を端緒に、積りに積もった話が出来た。そう思う。

俺は本当に愚かだった。今まで親戚へ抱えていた敵意や、嫌悪感、拒否感などの、これまでの負の感情が雲散霧消した。今は、気持ちが少しスッキリしている。身体の疲労感は取れないが、気持ちは幾分か軽くなった。

この出来事は、俺を変化させるものになるかも知れない。

追記 
親戚からすると、部屋が寒かったかも知れない。今後は、気遣いが出来るように。

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