生きたくない者

生きたくない者

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先延ばし癖の無意味さ

先ほど一つ用事を済ませてきた。終えてみたら大したことはない些細な出来事だった。負担感が軽減して今ホッとしている。 ところが昨日の俺は、その用事のことで頭を悩ませていた。自分がどう話を進めて良いか分からず行動に移せずにいた。まだ木曜だ、明日用事を済ませよう、と問題を先延ばしにして、昨夜は不安な気持ちのまま寝た。 今振り返ると、昨日の悩みや葛藤に費やした時間は無駄そのものだった。何故なら、昨日の俺と今日の俺に本質的な変化が無いからだ。情報収集し、知識を蓄えて、戦略的に行動する

    • ケチくさい人の話

      今日某カフェで、とある老人男性を目にした。その老人はそのカフェで何一つ購入していない様子。その代わりに、店が無料で提供している水を飲み、ビニール袋から取り出した煎餅をボリボリ食べていた。そのカフェの商品ではないので、完全にNG行為だ。 その人に感じたのは、なんて貧乏くさいんだということ。そのケチくさい振る舞いが本当に不快だったし、絶対にあんな老人になりたくないと思った。金欠気味だとしても、一番安いコーヒーなら300円前後で買える。もっと安く済ませるなら、レジ近くの茶菓子20

      • うぜー

        入院している父がもうじき退院する。俺は現在、家の片付けにてんてこまいだ。好き勝手に生活しているもんだから、家がゴミまみれだ。 何か親戚から連絡きたんだけど、イチイチうぜー。まあ、彼らなりの優しさなのかも知れないけど、指図してくる。

        • 面白い

          訳があって、今自宅の大掃除をしている。そしたら興味深いことに気付いた。それは、ゴミを捨てずに押入れやバッグや紙袋に詰め込んでいることだ。 今考えると、不思議だ。何故過去の自分はこんなことをしている。パンの包装紙や、玩具やゲームの外箱、衣服のタグ、綿棒、ティッシュなどの明らかなゴミが放置されている。 このゴミは小学生〜高校生時代の物だろう。もしかして、この頃の私は掃除という概念を理解していなかったのではないかと思えてくる。もしくは掃除とは、モノが視界に入らない状態にすること

          ああああああ

          あの人と街ですれ違ったかも知れない。確信はない。眼鏡つけてないから薄っすらとしか見えなかった。見間違いかも。けど、妙に似ていた。 俺のだらしない服装を見られたと思うと恥ずかしい。なるべく格好いい姿だけを見たい。クソ。 いや、ちょっと待て。その見栄っ張りや虚栄心が俺を苦しめていやしないか?ラフな自分を素直に見せることが出来れば、ここまで恥じらう気持ちを抱く必要はない。 仮面をつけている自分に問題があるんじゃ?

          寂しいのか?

          1日中スマホいじってる、それで1日が終わる。怖い。これで終わった。空虚な1日。 でも、触らずにはいられない。中毒になってる。 寂しいから触らずにはいられないのかな?ふとそう思った。

          ダラダラ動くから余計に時間がかかる

          今家族が入院している。俺は度々面会に行くのだが、訪れる時間によっては家族がリハビリや検査を受けているため、面会で待たされることがある。この時間が苦痛だ。 しかし、その待ち時間を回避することはできる。入院している病院は13時から面会できる。お昼ご飯が12時から。お腹がまだ膨れている13時すぐにリハビリを始めることはない。リハビリは大抵14時からだ。よって13時すぐに訪れれば待ち時間なく面会できる。 しかし、時間通りに訪れた試しがない。大抵14時15時に到着する。そして待つこ

          ダラダラ動くから余計に時間がかかる

          変な年だった

          2023年の下半期は過酷だった。今まで避けていた事と直面しなければならなかった。自業自得ではある。逃げ続けた俺が悪い。 とは言え大変だった。しばらく寝れない日々が続いた。食欲が暴走してドカ食いしたり、反対に1日1食で済ませたり。生活が乱れに乱れた。不慣れなことをこなさなければならないプレッシャーと戦った。よくやったよ俺。俺だけは俺を褒めるよ。頑張った。 さて、もうすぐ年越しだが1つ懸念点が。俺の体調が優れない。頭がクラクラする。ここ数日だ。こんなこと初めてだから不安になる

          規則正しく

          今朝は早起き出来た。普段よりも。 それだけで自己肯定感があがった。自分はしっかり生活できている気分になった。単純な奴。 でも、そういった簡単なことを着実にこなすことが大切なんだと思う。軽視しがちだたけど積み重ねたら多大な影響をもつこと。 怠惰な生活は無限には続けられない。

          年賀状の作成と諦めと頭頂部がズキン

          1 先ほど年賀状の作成を終えた。意外とアッサリ終わった。 いや、正確に言えば数日手こずっている。年賀状の印刷をカメラ屋さんで済ませようと思い、足を運んだ。すると、宛先のデータを持ち込めばカメラ屋の方で印刷してくれると知り、1度店舗を後にした。そして後日同じ店舗を訪れたら、今度はコチラが用意したディスクが店舗の機器で読み取れなかったので、再び退散することに。 何度も店舗に向かって正直疲れた。そこで、アプリによる年賀状の注文を試みた。そのカメラ屋の会員登録や、デジカメで撮影し

          年賀状の作成と諦めと頭頂部がズキン

          悩んでウダウダするのに飽きた

          旧友のラインの壁紙画像を見た。それは結婚式の画像だった。そこに写る旧友とその知人たち。幸せそうな様子。 それを見て、最近の自分と比較した。俺は悩みに悩んで鬱屈とした日々を送っていた。なんて馬鹿らしいんだ。まじでバカらしくなった。こうやってうだうだ苦しんでいることに意味なんて無いわ。マジで。 好きなことやる。

          悩んでウダウダするのに飽きた

          心の奥底にある澱

          親戚の方と40分ほど話した。俺一人と親戚の方と話す機会なんて、滅多にない。殆ど無い。それは、俺が親戚の方と顔を合わせるのを避けてきたからだ。 昔から苦手意識があった。怖かった。その理由は割愛する。あと、ニート生活をしていることもあって、顔を合わせるのを拒んだ。とにかく、親戚とはここ10年は疎遠だった。 しかし、事が事だ。父の様子が芳しくない。その局面で、俺の個人的な事情はどうでもいい。苦手意識を感じていた親戚と、面と向かって話した。 色々話した。父の容態、父の最近の様子

          心の奥底にある澱

          父よ、負けるな

          父の容態があまり良くない。一応、意思疎通はできる。が、少し話し方がたどたどしい。今まで通りの生活ができるのかは、分からない。来週に色々判明すると思う。 父の状態を思うと胸がソワソワする。一刻も早く回復して、以前の少しいじわるで、素直じゃない父の姿が戻ることを切に願っている。時々煩わしく感じるが、それでも何だかんだ大好きな父だ。30年育ててもらった恩がある。これから10年、20年と余生を充実したものにしてほしい。俺もそれを手助けしたい。 さて、俺の話になるが、今とても疲れて

          父よ、負けるな

          どうなるのか

          父の体調があまり良くない。今日病院で診察してもらって、今の父の状態を聞いた。悲しかった。常に鼓動が高鳴っていた。脂汗をかいていた。 その一方で、不幸中の幸いと呼べる状態でもある。本人は今の所、意識はハッキリとしている。その様子を見て、少し安堵する。 とは言え、まだ分からない。まだ。とにかく後悔しない為に動く。

          親の介護

          ここしばらく父の調子が悪い。なんだか熱っぽいのかな。少し顔が赤いように見える。 遡れば、日曜にも体調が悪いと言って、父は早く就寝していた。翌日に体調について訊ねたら、良くなったとの返事があったので、少しホッとした。なので、俺は父の体調についてはそれ以降は何にも心配していなかった。 が、今日父が家の駐車場に車を停めようとしていると、なんとアクセルを急に踏んで家に少し車がぶつかったのだ。ドスンと大きい音がした。緊張が走る。慌てて、家から飛び出た。 幸い父にケガはなく、家にぶ

          継続することの過酷さ

          半年ほど前からとあることを始めた。それとは別に、このNoteでの投稿も数ヶ月前から始めた。最初はテンションが高く、楽しい気持ちだった。 が、1ヶ月ほどしたら当初の気持ちはどこへやらだ。上記で挙げた取り組みは共に挫折している。Noteの投稿も1ヶ月ぶりくらいだろうか。それくらい気持ちが冷めきっている。 物事を継続することは苦しく、辛く、過酷だ。飽き、他の娯楽への誘惑、取り組むことの疲労、などの原因がある。 塵も積もれば山となる、継続は力なり…などのことわざや慣用句からも明

          継続することの過酷さ