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周りに気を遣いすぎる人へ

noteをやり始めて1カ月ほど経ちましたが、
なんでもそうなんでしょうけども、
ルーキーであるほど、
フォロワーが少ないほど、
数が気になる部分がありますよね。

フォロワー伸びないとか減ってるとか、
スキが全然つかないとか。

そういうのをいちいち真面目に見ていると、
「俺はやっぱり万人受けしない人間なんだな」とか、「はたから観てて不器用なんだろうな。生きづらそうなんだろうな」とか思ってしまう。

実際そのとおりなんです。



見栄張りではなく、
単なる振り返りとして読んでほしいんですが、

僕は大学のころにはクリスチャンの友達とつるんで教会の仮装パーティーに参加したりもしたし、学内でも友達や先生との交流が多く、社会に出てからもいろんな人間関係を経験しました。接客したり事務したり、路上ライブやったり、ライターしたり。本当にいろんな人に会った。その中で、楽しいことも面倒なこともそれなりに有った。

僕は記事ではズケズケ言いますが、リアルで人と接するとき、集団に居るときには周りに気を配りすぎて疲れるタイプなので、余計あった。


「こんな嫌われ者でも結婚できるんだ」
「こんな偏った人でも好かれるんだ」
「こんな人でもなんか楽しそうだ」

という実像も、何度も観ましたね。

そこで学んだのは、
やっぱり人間はある程度自分勝手が一番ということ。

それぞれ勝手に好きなものを好きと言い、
嫌いなものを嫌いと言ってればいいんだと。

どんだけ気を遣っても、最後はそうするしかない。
ということに気づきました。

エゴの存在しない人格など普通はありませんからね。


誰も傷つけなさそうなクリーンな精神論というのはいくらでも言えますが、

得てして世の中というのは、ある程度向う見ずで自己中であるほうが、生きやすいのは確かです。

例えば、ひとくくりに”誠実な人”“真面目な人”“いい人”“優しい人”と言っても、必ず誰かしらには嫌な思いをさせてるわけで。

それは配信,文章,意見,写真などの作品を公にさらすことにも言えます。

嫌いな人がいるかもしれない…
誰かを不快にさせるかもしれない…
人気が出ないかもしれない…

なんていちいち気にしていたら、キリがない。

キリがない。


だから最低限の線引きができていれば、自己中に越したことはないんだろうと思う。

世間を観ていても、ひろゆきさんとか、プロ奢られさんとか、レンタルなんもしないさんとか、世間一般からはそこそこ反感を買ってますが本人はとても生きやすそうです。

あ、堀江貴文さんとかもそうですね。
無限に居る、そういう人。

嫌われたくないというわがまま、
好いてくれるはず、分かってくれるはずという期待というのは、

やはり人間社会において邪魔になることがまま在るでしょう。

とにかく気にし始めたらキリがない。

そういうことです。


だいたい何であれ、気に入る人はどこかに居る。

人に無駄に期待はせず、

まぁわかる人も居るだろ
気に入ってくれる人も居るだろ

くらいの心持ちで自分というものを
生きればいいんだと思います。


以上、

人に気を遣いすぎて疲れる人への手紙であり、
僕自身への戒め、備忘録であります。


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柏木
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