人と人形は何も変わらない 1

 我々が慣れた用語で言うところの主観-客観という形式において、根本的な見方 基礎的観点からみると主観と客観は同値になる。主観は自身の観念、信念、あるいは感情、そして自身のもつ知識、情報により構成された自分の視点だ。他方客観とは多数の人が観ても同じになるような視点、自身から独立した第三者の立場といった所か。二つの言葉は対義語として定義されている。
 より包括的に考えれば考えるほど、基礎的構造に目を向けば向くほど、二元論は五分五分に近づいてゆく。互いの中に互いが存在することに気づいてゆく。故に大局を見ていくと主観の中に客観、客観の中に主観を捉えてゆく。
 自身の外側の事柄を変えようとする時、私たちは苦戦を強いる場合がある。例えば仕事で結果を出そうと努力したり、学歴をつけようと勉学に勤しんだり、努力をしても結果の出ない事例を自他共に見ることはあるだろう。基礎的な一つの見解として 外を変える時内も変わる 物理で言う作用反作用近い。外にしか目をやらない、または内側のみに閉じこもる時困難に直面する。外界に対してなんらかの私的な変革を実現するには、自身のbelief(観念、信念)またはknowledge(具体的な知識)にも相応の変質が必要になる。逆も然り。
 一度内側に対して極めて大きな論考をしてみよう。己の中には全てがある。例えば友人や恋人から一瞬だけすれ違った人物、住んでる家から電車で通り過ぎた名も知らぬ土地まで、または今日着ている服からふと広告で目に入った衣装 といった具合に少しでも認識したものなら全て自己の中の、それも極めて狭い範囲にある。自己の外に外在するものはまた、内在している。同値関係だ。
もし自分自身を外と内、主観と客観の境界線、認識そのものと定義するなら、認識したものはしてないものより自身に近いと外的、または内的に言えるだろう。
 個別的な事物より抽象的な事象のほうが扱いやすい。特定の事柄には個別的故に複数の抽象的概念が組み合わされているから、多数の概念全てに深く関わるよりどれか一つに絞ったほうが願望は叶えやすい。

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