邦題:怖い本 原題:Scary Stories to Tell in the Dark 1960年代のアメリカ。 ハロウィンの夜にステラは友人達と町外れの幽霊屋敷に忍び込み、地下室で一冊の本を見つける。怖い話が綴られたその本を、作家志望のステラは興味本位で持ち帰ってしまう。その晩、本の白紙だったページに物語が綴られていることに気がつく。 失踪事件には怪物が現れる。主人公となった人物が一番恐れるものに襲われる。 幽霊の姿がハッキリと出てこない日本の怪談とは違って、怪物がし
考えてることくらいは自由に
感覚を共有することはできない 教えるにあたっては具体的な行動を学ばせることが大事なのではないか
ときどき、いやまあまあな頻度かな、自分の認識している世界はひどく穴ぼこだらけだと感じる。 見えていないもの、忘れてしまうことが多くて、世の物事の数%くらいしかとらえられていないんじゃないかな。
久しぶりに会う知人 友人というほどの仲じゃないけど、声をかけたら快く会ってくれた 初めて会う人もいる 初対面にあまり尻込みしなくなったのは歳のせいかな
部屋の片付け 人を迎える準備 トマトの実はまだ青い
弓手の押し方 イメージを変えたほうが良さそう 肘に余裕をもたせる
庭を整理する。 まだ少ないけど、いくつかの花々を育てて彩る。 将来的には色彩豊かな庭にしたい。
今が何となくつまらないから ひとつ新しいことを始めてみる その瞬間からもう別の道 あとは続けて踏み固める
そろそろ再開 毎日続ける持久力を
先日、久しぶりにスプラトゥーン3をプレイしてみた。 近頃は仕事や勉強やポケモンやらで全くプレイしておらず、2~3週間ぶりだった。だいぶ間が空いたのでゲームスキルも鈍っていたのだろう、はじめは連敗ばかりだった。それでも、徐々に調子を取り戻してきて、最終的には勝率五分五分位にはなった。けれど、勝ってもそれほど嬉しくもなかったし、どこか冷めた気持ちがあった。 それはスプラトゥーン3を始めてから何となく抱いていた感情。自分はもうこのゲームを楽しめなくなったんだな、と改めて認識し
不自由は仕方ない 人間の身体は腕と足が2本で、指がそれぞれ5本ずつしかないのだから どんな生き物もそう みんな各々の乗り物で世界を漂っている たまには別のに乗りたいと思うだろう 外に出たければどうぞご自由に 自由が僕らを守ってくれるわけじゃない 帰って来なくても知らないよ
この部屋の窓が全て閉じられていたなら 余計なものを目にして傷つくことはないのかもしれない 手の中の小さな窓から溢れる世界の景色に自分にないものを探してる 窓の外を眺めているうちは自分が何者かになったような気がした ただ、窓を閉じたあとにまた少し年をとった自分を知る
※物語の展開に少々触れますが、結末やトリックなどへの詳しい記述は避けていますので、結末まで知りたい方はぜひ作品をご鑑賞ください。 こんにちは。ささむと申します。 文章の練習にと自分の好きな物事について気ままに書いております。 今回は久々に映画をゆっくり見ることができたので、その鑑賞記録を残します。個人の感想なので異論・反論・嫌悪感などあるかと思いますが、何卒ご容赦ください。 【あらすじ】 世界人口の爆発的増加により食糧危機、環境破壊が深刻な問題となり、政府は人口の削減のた
▶打ち起こし〜大三の弓手(左腕)について 横から見たときに、打ち起こしから大三にかけて、弓手は妻手(右腕)より前にあったほうがいいのだろうか。 上手い人達の射をいくつか観察すると、弓手は妻手より前に出ているように見える。大三のときも両拳を比べると右拳よりもやや前に位置づけていることが多い。 自分では弓構え〜大三までで弓手は妻手よりやや後ろにしていたと思う。そのほうが第三への移行がしやすいかと考えてのことだったけど、引き分けの押し感や安定感が何となくピンとこない感触はあった。
先日、広い道場で弓を引いた。 仲間内で貸し切ったので、気兼ねなく矢数をかけることができ、久々に20本引いた。 上級者の方々からしたら、20本など準備運動くらいのものだろう。 ただ、私の場合は時々できる練習でも6〜8本くらいしか引かないので、20本も引くことはなかなかに骨の折れる量だった。 その日も、前回の練習から約2ヶ月ほど間が空いていた。 なので的中は望まず、体のバランスと矢筋に躊躇いなく離れることだけを意識した。序盤は今ひとつ感覚がつかめなかったが、徐々に身体のイメージ