軽さ
不快感がなく、
美しいと思う人はどんな人か考えてみた。
容姿が整っている、とか、
清潔感があるっていうのは、
(若さというのも清潔感の一種になりうると思う)
もちろんプラスの要素だと思う。
でも、それだけでは、
美しいとか、好感がもてるっていうのにならない気がしていて、
じゃあ中身かというと、
心が綺麗とかそういうことでもなくて、
「軽さ」なんじゃないか思う。
恐怖とか怯えから生まれる
執着とか、卑屈さとか、意地悪さとか、
他人を見下してる感じとかは、
「重さだ」と思う。
そういう邪悪な「重さ」が人に不快感を与えるのではないかと思った。
顔の作りがすごい美人やイケメンでも、
オドオドとキョドっていたら、
キモく見えると思うし、
誤解を恐れずに言うと、
一見すると、
「意地悪」とか「上から目線」
と見えるような言動でも、
それをしている本人の中に
恐れとか計算とかがなければ、
重さは生まれない。
だから、ズバズバ言ってるのに、
清々しい人っていう感じになる。
逆に、発している言葉は優しいのに、
何となく「いやらしい人」というのは、
心の中が重たいのだと思う。
自分で自分をちゃんと満たせる人というのは、
軽いエネルギーなんじゃないかと思う。
他人から、何かを吸い取ってやろうとか、
何かをもらおうとする人って、
(物質的なものだけでなく、エネルギーとかも)
人は本能的に分かるんだと思う。
何となく重い感じがするな
=不快だな、近づきたくないな、みたいな。
ただ、自分が相手と共鳴するような
「重さ」を持っている場合には、
惹かれ合ってしまうかもしれない。
そしてそれは、どちらにも、
幸せはもたらさないと思う。
自分を自分で健全に満たせている人は、
そういう重さには違和感を感じるので、
近づきたいとは思わないし、
長時間一緒にいることは難しいと思う。
素敵な人、側にいても心地好い人、
美しい人には、エネルギー的な「軽さ」があるんじゃないかと私は思う。
あと、最近
「運動」って以外と大事なんじゃないかと思い始めている。
運動までいかなくても、まめに体を動かすこととか。
よく、運動の本に書いてあるのは、
人間は動くように作られていて、
じっとしているようには作られていない
というものだ。
運動をしないと、
血流が悪くなり、筋肉も衰え、
脳も衰え、贅肉がつき、代謝が落ちる。
そうすると、
見た目にもエネルギーにも「重さ」が生まれる。
運動は、
スッキリとした輪郭や身体のフォルムを作り出す。
生まれ持った容姿云々ではなく、
運動は、その人の本来あるべき、
スッキリとした状態にしてくれるんじゃないかと思う。
そして、それも清潔感に繋がるのではないかと思う。
気分も明るく前向きになるので、
内面的にも軽くなる。
(運動は鬱病を改善したり、認知症を防ぐ効果もあると本にあった。)
本来動くように出来ている人間の体なので、
現代社会の中で、
動かないことが当たり前になると、
色々不具合が出てくるのも納得できる。
スポーツ選手がカッコ良くて素敵なのは、
ちゃんと体を使っているからだと思うし、
容姿で売っているアイドルや俳優さんだって、
体を鍛える人が多い。
運動が見た目を良くすることを分かっているからだと思う。
普段から運動している人は、
やっぱり若々しく、
生まれもった容姿云々だけでなく、
見た目も好感が持てる場合が多いのではないかと思う。
「そもそも人間は動くようにできている」
もし本の通りなのならば、
動かないことで、
本来の自分の姿からズレてしまって、
不恰好な自分になってしまうということだ。
健全な「軽さ」には、
運動も多いに関係あるのではないかと、
私は思っている。