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考える時間

考え始めると気分が悪くなったり、
迷宮入りしたり、変な気分になる事柄がある。

死ぬことや、生きている意味について考えること
もその1つじゃなかろうか。

現代を生きる私達には、
生や死について、深く考える時間がない。

人々が争った歴史や
人間が造り出した人工物の歴史を学んでも、

生きている意味や、死ぬ意味については、
分からない。

大地があって、
草花や樹木があって、
川があって、海があって、
人間を含めた生き物が生きて、
そして死にゆく意味を識る機会はない。

地球全体のサイクルとの調和や、
それぞれの生き物との関わり。

何千年かは生きてきた人間の歴史。

もっと、本当の意味での生きる智恵が
あったりしないのかな。

日々のやらなければならないこととか、
人間関係とか、
雑事とかで毎日が埋まってしまうと、

生きることや死ぬことについて、
深く考える暇はないし、機会もない。

もちろんそれらだって、
日々を生きていく上で大切なことだけれど、

もっと根本的な
どうして生きているのか、
どのように死んでいくのか、

この地球とどのように関わって生きていくのか、
よりよく生きるとはどういうことかを、
深く考える時間はない。

現代社会の中で、
何になって、どんなものを所有して、
どのように資産を形成するか、
どんなライフプランで生きていくかを
考える機会はある。

でも、
どこの学校へ行くかとか、
どんな職業につくかとか、
最期のときにどんなお墓に入るかとか、
そういうことじゃなくて、

もっと、深い意味。

もっと深い意味での生きること、
そして死ぬことの意味について考える時間はない。

本当に必要なものは何なのか。
本当に大切なのものは何なのか。

無意識に、
自分を摩耗させて、
命の時間を消耗してしまっているのではないか。

有限な命を、
誰かの決めた「やるべきこと」で
埋めてしまって、

本当の意味での「生きる」ことが出来ないでいるのではないか。

生きるなんてただ生きてるだけだよ、
意味なんてないよ、と言う人もいるけれど、

私は、この奇跡みたいな生命が、
意味がないなんてことはない気がする。

だって、
心がイキイキすることもあれば、
心が死んだようになることもある。

それは、自分が喜ぶ生き方と、
自分を殺す生き方があるってことじゃないかな。

上手く言葉に出来ないけれど、
生きていく上で大切なことは多分、

どういう大学へ行くとか、
どういう仕事に就くかとか、
そういうことではなく、

もっと自分の内側を見つめた時に
発見するものではないだろうか。

自然と人間との関わりの大切さ。
人と人との思いやりをもった関わりの大切さ。

本当は「生」にも「死」にも、
もっと深い意味があるのではないか、
とそんな気がしている。









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