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止まっちゃう時
嫌なことがあった時とか、
負のことをぐるぐる考えちゃう時って、
身体を動かしたり、
気分の良い場所出掛けたり、
自分を強制的に「忙しい」状態にしていると、
気がついたら、
同じ物事でも別の視点から考えられるようになったり、別の楽しいことや、叶えたい目標について考え出したりして、
「負」について考える時間を少なくすることが出来る。
どんよりする時間を減らすことが出来れば、
悪い連鎖も起こさすに済むし、
逆に嬉しい出来事を引き寄せたりもする。
でも、問題なのは、
強制ストップがかかる時だ。
例えば、病気になるとか、
断水や停電や震災が起こるとか、
身内に問題が起こるとか、
自分が自由に動けない状況になってしまうとき、
身体を動かしたり、出掛けたり出来ないとき、
どうやって自分の気持ちを持ち上げるか、
どん底まで落とさないかが難しい。
身体が弱って寝込んでいたりすれば、
気持ちも落ち込んできて、
涙が出たりなんかするもの。
私が考えられる方法としては、
身体に良いものを少量食べて、
良く眠ることくらい。
でも、病気の時って、
眠ることすら難しかったりするから、
大変だよね。
でも、そういう強制的な「ストップ」がかかるというのも、必要なことなのかもしれない。
ずっと全速力では走れないから、
ちょこちょことストップがかかることで、
心と身体がバランスをとっているのかもしれない。
現に、病み中は辛くても、
病み上がりは身体も心も軽いことが多い。
毒出し期間なのかもしれない。
人生には、どん底を見つめるのが必要な時期というのがあるのかもしれない、と思う。
どん底にならないようにするのではなく、
どん底な時を受け入れるしかないのかもしれない。
東城百合子さんの本の中にこんな一文がある。
「不幸」を避ければ避けるほど
「幸運」もまた逃げていく
この世はプラスとマイナスで成り立っている。
ずーっとプラスばっかりはあり得ない。
お金持ちの人が慈善事業にお金を使ったり、
寄付したりするのも、そういう理由からだと、
聴いたことがある。
好調な時があるから
不調な時がある。
不調な時を毛嫌いするのではなくて、
好調な時には感謝をし、
不調も受け入れるしかないのかもしれない。
そして、普段の生活の中でも、
誰かのために自分が先に「損」をするということは、「難」を逃れる小技なのかもしれないなあ、
なんて、東城先生の本を読んで思った。
強制ストップがかかっちゃう時、
それも意味があることなのかもしれない、
焦る必要はない、
なんて思った。
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お二人共ありがとうございます!