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止まっちゃう時

嫌なことがあった時とか、
負のことをぐるぐる考えちゃう時って、

身体を動かしたり、
気分の良い場所出掛けたり、
自分を強制的に「忙しい」状態にしていると、

気がついたら、
同じ物事でも別の視点から考えられるようになったり、別の楽しいことや、叶えたい目標について考え出したりして、

「負」について考える時間を少なくすることが出来る。

どんよりする時間を減らすことが出来れば、
悪い連鎖も起こさすに済むし、
逆に嬉しい出来事を引き寄せたりもする。

でも、問題なのは、
強制ストップがかかる時だ。

例えば、病気になるとか、
断水や停電や震災が起こるとか、
身内に問題が起こるとか、

自分が自由に動けない状況になってしまうとき、
身体を動かしたり、出掛けたり出来ないとき、

どうやって自分の気持ちを持ち上げるか、
どん底まで落とさないかが難しい。

身体が弱って寝込んでいたりすれば、
気持ちも落ち込んできて、
涙が出たりなんかするもの。

私が考えられる方法としては、
身体に良いものを少量食べて、
良く眠ることくらい。

でも、病気の時って、
眠ることすら難しかったりするから、
大変だよね。

でも、そういう強制的な「ストップ」がかかるというのも、必要なことなのかもしれない。

ずっと全速力では走れないから、
ちょこちょことストップがかかることで、
心と身体がバランスをとっているのかもしれない。

現に、病み中は辛くても、
病み上がりは身体も心も軽いことが多い。

毒出し期間なのかもしれない。

人生には、どん底を見つめるのが必要な時期というのがあるのかもしれない、と思う。

どん底にならないようにするのではなく、
どん底な時を受け入れるしかないのかもしれない。

東城百合子さんの本の中にこんな一文がある。

「不幸」を避ければ避けるほど
「幸運」もまた逃げていく

「免疫力が高い体をつくる 自然療法 シンプル生活」p210

この世はプラスとマイナスで成り立っている。
ずーっとプラスばっかりはあり得ない。

お金持ちの人が慈善事業にお金を使ったり、
寄付したりするのも、そういう理由からだと、
聴いたことがある。

好調な時があるから
不調な時がある。

不調な時を毛嫌いするのではなくて、
好調な時には感謝をし、
不調も受け入れるしかないのかもしれない。

そして、普段の生活の中でも、
誰かのために自分が先に「損」をするということは、「難」を逃れる小技なのかもしれないなあ、
なんて、東城先生の本を読んで思った。

強制ストップがかかっちゃう時、
それも意味があることなのかもしれない、
焦る必要はない、
なんて思った。

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