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亀太郎の思い出
私は、小学3年生の時から亀を飼っていた。
ホームセンターで売られていた亀で、最初は500円玉くらいの、小さな亀だった。
亀太郎と名付けたその亀は、すくすくと育っていった。
最初のうちは、私も張り切って、近くの土手に散歩に連れていったりもした。
亀太郎は緑亀だったので、土手の周りの草と同化して、すぐ見失うため、ずっと見張っていなければならず、意外と短い散歩になったのだが。
お世話も最初のうちは、興味深々で、エサをやったり、洗ったりしていたものの、元来の怠け者の性癖から、亀のお世話は、母の仕事と化していった。。
ある時、思い立って、生き物の本を買ってみたところ、緑亀のページに、オスメスの判別方法が載っていた。
しっぽの形で判別するとあった、
本によると、どうやら亀太郎はメスらしいということが判明した。
無理やり亀子等と呼んでみても、何年も亀太郎と呼び続けていたため、しっくりこない。
挙げ句の果てには、
何と呼んだらいいか分からなくなった母と私から、「亀」と種族の名称で呼ばれたりした。
亀太郎は、最初虫かごで飼っていたが、段々と大きくなり、虫かごが窮屈そうで可哀想に思った母が、食器の古い洗い桶にネットを掛けて、亀太郎の家を作ってやった。
亀太郎は、虫かご時代から、たまに脱走した。
亀が脱走する等とは、思わなかった私達家族は、
突然、テレビの下等から現れる亀太郎に度々驚かされた。
特に、動物が苦手な父は、
「亀がいるぞ!亀がいるぞ!」
と見れば分かるものを、大きな声でアナウンスし、
家族のひんしゅくを買った。
そうして、時は流れ
妹は結婚し、私に甥っ子が出来た。
甥っ子が、2歳の夏、妹と共に帰省している最中に
亀太郎は死んだ。
20年以上の大往生だった。
私達、姉妹の成長と家族を、静かに見守ってくれた亀太郎。
亀太郎の亡骸は、ペットの葬儀社にお願いして、火葬してもらった。
私は、仕事で立ち会えなかったのだが、
非常に丁寧な、黒いスーツを来た女性が来て、
メスなんですけど、亀太郎っていうんですという、母の訳の分からない説明にも真摯に対応し、
「亀太郎ちゃんのお別れは~」等と心を込めて対応してくださったらしい。
甥っ子は、最後まで、
「亀バイバイ!亀バイバイ!」
と見送っていたそうだ。
その後しばらく、母は、甥っ子から、
「亀ばあば」と呼ばれることとなる。
ドラゴンボールに出てきそうな、強そうなばあばである。