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満員電車で思うこと
満員電車って、ゴミ箱みたいだなって思う。
皆行きたい場所に行ってる訳でもないのに、
大人気みたいにギュウギュウ積め。
労働を課されて、
行きたくもない職場へ
不快に詰め込まれた電車に乗って向かう。
この満員電車の中に、
一体どれくらいの人が、
現在地点に意識を置いていられてるんだろう。
皆、不快を紛らわすみたいに、
スマホを弄り続けている。
意識をそらすみたいに。
スマホを弄ってる人が大半だけど、
きっと弄ってない人だって、
この不快な有り様をそのまま見つめている人なんていない。
未来や過去のことや、
好きなもの等、意識は違う場所へ飛んでいっているはず。
このゴミ箱みたいな電車に押し込められているという事実を直視していないはず。
若者にSNSを禁止する国があると、
Yahooニュースで見た。
SNSそれ自体は良くも悪くもないと思う。
使い方の問題だと思う。
でも、最良と思われる出会いは、
人であっても、本であっても、物であっても、
私に限って言えばSNSで出会ったものではない。
気に入って何度も読んでいるのは、
書店で実際に惹かれて手に取った本ばかりだし、
(そういう時って、本当に出会いとしか言いようがない。)
人だって実際に会って話して、
空気感を感じてみないと分からないし、
LINEやインスタだけではコミュニケーションを充分にとったとは言えない。
これだけ、ずっと皆スマホを弄り続けていると、
もはや逆に人類はスマホに支配されてしまったみたいに見える。
目を閉じて、
快晴の空の下、
暖かい陽の光を浴びているだけで、
ストレスが消え去り、
幸せな気持ちになれるのと同じように、
満員電車では、
スマホを弄っても、本を読んでも、
不快感は募り、
疲れが蓄積するばかり。
人間は、見ていなくても、
意識を向けていなくても、
環境から影響を受ける生き物なんだなあと思う。
奴隷にように、
労働場所へ満員電車に揺られて向かい、
また、満員電車に揺られて帰る。
いつも、本当に大切なことは何なのか、
自分が今していることは何なのか、
落ち着いてじっくり考えてみなくてはいけないな、
と思う。
奴隷にように
スマホの広告やSNSに、
せっかく稼いだお金を吸い取られ、
虚しく生きていかないためにも、
本当に必要なものは何なのか。
仕事は当面仕方ないとしても、
そこで得たお金の使い道や、
時間の使い方は、
よく考えないといけないな、と、
スマホに取り憑かれたゾンビのような人々で
ごった返すゴミ箱みたいな満員電車で考えた。