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思ったこと色々
私は球技と車の運転が苦手。
その理由は、
ずっと運動神経が悪いからだと思っていたけれど、視力の左右差が大きいせいもあるんだと思った。
私は生まれつき
右目0.01、左目1.2くらい視力に左右差があるから、ボールも車も距離感が掴み辛い。
30歳過ぎてから、
コンタクトが辛くなってしまって、
仕事中は眼鏡をかけている。
眼鏡って、視力に左右差あると疲れ易い。
右は近視、左は遠視だから、
本当は遠近両用眼鏡だとどっちにも対応しているらしいんだけど、
眼科の先生に、
「遠近両用眼鏡って、コツが必要だよ」
って言われて、
不器用な私は踏み切れないでいる。
こういう風に、
数字でハッキリと分かることが原因だったら、
納得できるけれども、
見えないことが原因で、
やりたくても、努力しても、
どうしても上手く出来ないことってあるんじゃないかと思った。
現代の科学や医学ではまだ解明されていないことも沢山あるから、
自分的に、
やりにくいなとか、
苦手だなって思うことって、
怠けてるからだとか、
精神的なことのせいだけじゃなくて、
脳とか身体の仕組みとかが原因のこともあるんじゃないかと思う。
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人の中で生きていくって、
しんどいし、傷つくし、苦しいことも多いけれど、
人と関わることでしか磨かれないことってあるし、
成長出来ないこともある。
人と関わることでしか得られない感動や、
温かさもある。
苦しさがあるから、得られる喜びがある。
自分と違う人間だから、得られる気付きがある。
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職場って、
お金をもらう代わりに、
大切な何かを削りとられていく場所でもあるし、
お金を貰いながら社会勉強出来る場所とも言える。
ただ、
お金が貰えることと、
色んな年齢の人がいることと、
四六時中誰かとつるんでなくても周りから浮かない
という点においては、
学校よりはマシだな、と思っている。
「あなたにはありのままで価値があります」と教えておきながら、実際には、社会の役に立たなければ生きる権利(お金や保証)は与えられないというのは、狂気の沙汰だと思う。
でも、お金に換算できなくても、
どんな人からも学ぶことがあるし、
思わぬ形で救われたりすることがある。
生産性や能力だけで図れない価値がそこにはあるのに、社会という場所は容赦がない。
私は漫画やドラマが大好きだけれど、
現実世界に「何でも相談できる友達」なんてものは、誰にも存在しないのではないかと思うし、
(実際の友情にも、親しき仲にも礼儀ありがないと続かないと思う)
美男美女で、自分にとって都合の良いヒロインや王子様なんて人種は、どこにも存在しないと思う。
どんな人にも、利己的な面や残念な面はあるし、
それを、残念と思うか、愛しいと思えるかの違いくらいで、
実際の人間関係って、もっと生々しい。
それに、問題が全方位にスッキリ解決することなんて稀。
正義が勝つとは限らないし、
逆に分かりやすい「悪」というものもほとんどないと思う。
だから、ドラマや漫画の学園ライフやオフィスライフなんてものは、現実世界のどこにも存在しない。
ドロドロ復讐劇も、昼ドラサスペンスも、
稀だと思う。
もちろんだけど、人間に刺激を与えるただの娯楽なんだと思う。
感動や、刺激を与えてくれるという点においては、
素晴らしい芸術だけれど、
若い人が、あれが現実だと思うと、
苦しみを生むんじゃないかと思う。
私は、小学生のころ、
漫画の「りぼん」が好きだったけれど、
あんな世界はどこにもないと分かったのは、
結構大きくなってからだったから。
「りぼん」も楽しさをくれたし、
感謝しているけれど、
変な理想が出来たせいで、
生きていく上で、不自由になってしまったなという部分もあったから。