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正論は人を傷つけることもある
自分が既に乗り越えた問題について、
クヨクヨと悩む人がいたら、
正論を言って、発破をかけて、
良いことをしたって、思いたいのが、
人間の心だと思う。
私もそういう時、ある。
でも、
学校へ行けない人も、
仕事へ行けない人も、
結婚に踏み切れなかった私のような人も、
皆何が正論かなんて分かっているけれど、
それでも行き場のない想いがあるから、
こうしてSNSに綴ってみたり、
誰かに話すことで整理しているんじゃなかろうか。
人間は完璧ではない。
怖くても、傷ついても進めるなら、
それは素晴らしい。
週刊少年ジャンプの主人公ようだ。
でも、生身の人間は違う。
落ち込むし、傷つくし、
理屈では割りきれない矛盾を抱えながら
生きている。
何が原因でクヨクヨしてしまうのか、
どうすることが正しいのか、
そういうことが分かっていても、
感情が傷つき落ち込んでしまう時があるのが
人間なのではないだろうか。
「クヨクヨ落ち込んでいてもいても仕方ない。
行動あるのみ。
傷つかなければ何も得られない。」
それは真実だと思う。
でも、そんな風に簡単に割りきれないから、
自分の中で納得できるゴールにたどり着くために、
言葉にするし、同じような誰かに共感してもらって、癒されるのでないだろうか。
ゴールはあるだろうけれど、
そこにたどり着くまでの過程は、
全員が全員、
そんな風に週刊少年ジャンプみたいには、
いかないものなんじゃないだろうか。
(ジャンプは好きです。)
時に傷つき立ち止まりながら、
悩みながら、
時に乗り越えられない自分を責めながら、
それでも必死に
癒される時間や、
言葉にして納得する時間、
そういう時間を経て、
ゴールにたどり着くものだと思う。
結果だけを他人から押し付けられて、
解決するものではない。
どうすれば良いかや、
自分の弱さって、
本当は皆自分で分かっている。
分かっているところに、
他人から上から目線で正論を言われるから、
深く深く傷つき、腹が立つんじゃないだろうか。
(私自身も注意しなければならない。)
「本当のことだから腹が立つ」とか
「ショック療法だ」とか言って、
自分の発言を正当化する人がいるけれど、
それって、単純に言いたい側のエゴだと思う。
誰かに
「自分の方が俯瞰して物事が見れるんだぞ」
「自分は立派な答えを持ってるんだぞ」
「お前考え方は幼稚で至らないんだ」
って言っているようなもの。
戦争って、お互いが思う正論と正論のぶつかり合いだと思う。
どちらも自分が正しいと思っているから、
相手を正そうとする。
正論は時に人を深く傷つける。
自分にとって害がないのなら、
そっと離れるとか、
記事を読まないとか、
わざわざ相手を傷つけるようなこと言う必要はないと、私は思った。
先日の記事は、
とても素敵なコメントもいただき、
嬉しかったのですが、
やっぱりあまりにも自分的にセンシティブな内容を記事にしてしまったので、公開することはやめました。
読んでくれた方、
コメントをくださった方、
ありがとうございました!