忘れちゃいないことと「八風吹けども動じず」の意味
11月が巡り来て霜月というにはまだ暖かく、昨年の今頃も寒くは無かったと羽生結弦アイスストーリー『RE₋RRAY』公演のさいたま新都心に初めて降り立ったちょうど一年前を思い出している。数時間後に迫った羽生結弦のスケートを見る楽しみに浮かれてふわふわと歩いていた。
秋はセンチメンタルな季節だと思っていたけれど、11月に入ったここ数日怒りの気持に支配されていることに気づいた。思い出したら痛む傷ってある。コロナ禍の秋独りキャンプ中テント固定のペグで足裏をザックリやっちまった個所が恐怖を覚えていたりする。同じようにこの時期に怒りの感情をむき出しにした記憶があるということだ。私的にはセンチメンタルの対義語は怒りではないかと言いたくなってる。でも対義語を日本語で言うなら理性だそうだ。ということで理性的に怒りの理由を振り返ってみる。思い出したくない方はスルー願います。
誰も知らなかっただけで、11月4日さいたまスーパーアリーナの単独公演初日からそれは始まっていた。羽生結弦と、羽生結弦を推す人々と、11月21日noteに初投稿した自分と、三者の関係性とでもいうか、確かに変わったこの1年だった。
自分を軸に書いているので何様的なところの表現はお許し願いたい。
私のnote初稿記念日は、サラダ記念日のようなきれいな響きが似合うほど浮かれたものではなかったけれど、もう一年なのかと、noteに辿り着いて救われた居場所として現在があるような気がしている。
このnoteは正源の詩を送り出すという自分の本来の目的からずれて、正源さんごめんと謝る回数が増えた。そして正源の名前が勇気をくれているのを感じながらとりとめないことを拙い文章で綴っている。
羽生結弦という推し人ありきのnoteだけれど、何でもない記事にスキをしにきてくださる方がいらしてほんとうに幸せ者だなと思う。
あの頃心臓をかきむしりたいほどの勇気を持ってポストした気持ちを忘れない。こんなに心が疲れてしまう私だったっけ、たかがと言われそうな他人事やんか、なぜそんなに打ちひしがれている?自問しながら逃れようとしていた。
一年前のあの頃の私は形の無いもののせいで疲れて、病みそうで、爆発しそうで、その思いをnoteに載せた。言葉の持つ力や意味を特に考えるようになって、植物と同じで毒にも薬にもなり得る言葉を大切に使わなければと思った。
幾万の伝書鳩を一斉に放つような絵を薬草好きの私が好きな『薬屋のひとりごと』の主人公猫猫(まおまお)の世界に乗せて想像した。届け、どこまでも、誰かに届け。これだけはどうしてもと強く思って、11月、12月、伝書鳩を放ち続けた。
note記事をXに放った後は、本当にどうしていいのかわからなかったけれど、いっぱいの優しさや共感の気持ちがやってきてくれて一人じゃないなと思った。出会いと居場所の始まり、繋がったことに感謝した。
記事を放った後のあまりにも多くの読んでくださったその数にうろたえた。Xと連動していることでもしも炎上したら逃げるという私に、何かの時には援護するとメッセージをくださった方がいた。思いのたけを綴ってしまった私を守ってやろうとしてくださるお気持ちがとてもうれしかった。私はTwitter民ではなかったので、初ポストはX初心者の心細さでいっぱいだったから。
そんな頃noteの中に一つの記事を見つけた。第三者がイメージする羽生結弦と大谷翔平の性格による出来事の在りようだったと記憶している。初対面でコメントを重ねる中、教育を生業とされているその方が贈ってくださった言葉がありがたくてとても勇気づけられた。
そしてその方が断言してくださったように、今羽生くんは自分の力でひたすら未来を切り拓いて輝いている。スケートしかり、出版物しかり。
支えてくれる全ての人に感謝しながら羽生結弦のスケートを必要としている誰かのために滑り続けたいと体を作り心を創る。
家庭画報10月号で塩沼亮潤+羽生結弦の対談記事を読んで思い出したことがあった。
羽生くんが子どもの頃からスケートノートを書いてきたことは周知だけれど、そこには書いて書いて捨てる、捨てなければ耐えられないとか、やってられないとか、ほんとうに捨ててしまった想いとか、破り捨てられた羽生くんのその日の心はいかほどのものだったかと思ってみた。
公式インスタグラムに投稿された羽生くんの直筆の1枚がある。理不尽な彼を襲った風波にやり場ない思いを逡巡しながら載せたのだと思った。たぶんその1枚の紙は羽生くんの思いを封じ込めてごみ箱に捨てられたのだと思う。
対談の中塩沼亮潤大阿闍梨の「八風吹けども動じず」の話に幼きより見慣れた八風を思った。
それは八風街道として聞きなれた見なれた文字だ。
どれほど生きてか、初めて「八風吹けども動じず」の本来の意味を知る。
ただ動じないということではない。泣いても笑っても悲しんでも喜んでも、怒っても嘆いてもいい。起こった事実は受け止める。今は風が吹いている。そしてその後は起き上がる、平静に戻る。そうやって生きて行くことができたならたぶん人は救われるのだろう。奢ることもなければ、自分は自分と揺らぐことなく生きて行く。
羽生結弦は既にこれができる人なのだと、この若き人のなしえてきたことの重さを思った。
最近嵐の二宮和也さんが週刊誌のプライベートな記事への怒りをポストしてXを閉じた。その理由は自分が負の感情を発言してしまうことに対して見た人に不快な思いをさせたくないからだという。心あるメディアは二宮さんの思いを尊重した記事をあげている。私はそれだけで羨ましいとさえ思ってしまう。私の記憶違いでなければ一年前、心あるメディアもだんまりを通した。
誹謗中傷記事の傷はやっぱり消えてない。現在だって表現を変え執拗に絡んでくるのは嫌がらせに他ならない。無視するに足る嫌がらせだけれど、過去に出た記事を鵜呑みにさせ、彼の評価を下げさせた罪を、今でもたまに一般の方の投稿の中に見つけると悲しくなってしまう。
そんな中でも羽生くんの味方の数は大きくて、誹謗中傷記事撲滅にその記事の無視を貫く断固たる意志と、羽生結弦のしなやかな強さが、彼の言葉を借りるならば掛け算されてより大きな大きなファンダムとなっていった。応援する距離が近くなっていった。
しなやかな強さに至るまでどれほどの精神を磨かねばならないのだろうか。羽生哲学ができあがるほど、無我とか空(くう)とか禅とかを醸す修行のようなスケートの鍛錬を積んだであろうことを想像し、塩沼亮潤大阿闍梨との対談にその姿を重ねて読んだ。
羽生くんにもコンプレックスはあるらしく、例えば自らの柔軟性のある体がフィギュアスケートに適しているものではないと言う。柔軟性は羽生くんの美しいスケートをつくり上げている要素だと思っているが、そこには思考したり努力したり性格も含めた積み重ねの乗算が働いていて強みと成すみたいなことらしい。
彼はメンタルも皆が思うほど強いのではないと語ったこともある。なのでしなやかな強さと書いた。心のしなやかさもメリットだけではないのかもしれないけれど、理不尽な悪意で心を壊されてしまわない強いしなやかさを持っているのだと思う。
「八風吹けども動じず」とはしなやかな強さではないだろうかと思い至った。
羽生結弦は本当に逆境をばねに強くなってきた人だとつくづく思う。
私たちは自分の体質を理解していて、健康にいるために気づかないうちに養生しながら暮らしている。気質も同じように生まれながらにして持っているものだけれどこちらはなかなか上手く操れない。時には大嫌いになったりする。
蜷川実花氏とタッグを組んだ写真集『Shin』のインタビューの中で彼のパーソナリティーに由来する思考というような返答をしていた。
大切に正しく育まれた結果として彼は自分の備えた気質を最大限に活かしてきたのだと思う。いつだったか恩師の言葉にあったように、羽生くんが天才だとしたら努力の天才だからだ。
2024年12月7日、30歳の誕生日を皮切りに羽生結弦アイスストーリー第三弾『Echoes of Life』がスタートする。私の中のネガティブな思いを完全に払拭するために、さいたまスーパーアリーナを目指したいけれど、チケット落選が続く。もう少しだけあきらめずにチケットゲットにあがこうと思う。
塩沼亮潤大阿闍梨との対談から、能登半島地震のチャリティー演技会から、写真集『Shin・Gi』から、『Echoes of Life』の生きる意味まで続いていくストーリー性を感じる。図らずも見事なプロモーションであると感じる。既にエコーズを観る者へのヒントが散りばめられているような気もしている。来年正月の広島での公演に向けてアイスストーリーはまた深みを増していくのだろう。
羽生結弦一人に集中する視線を見たい。思いの詰まった色取り取りのはためくバナーを見たい。30歳のバースデイを祝いたい。行きたいなあ、行きたいなあ、と願って待つ日を過ごしている。
羽生結弦に触れる度こみ上げる何かで涙腺オンのスイッチが押されてしまう。『Shin・Gi』の中の表現者としての羽生結弦がまたスイッチを押した。
忘れちゃいない負の感情を書き始めたのにこの1年幸せがたくさんあったことに気づいた。あの風波を皆で耐えたから、強い信頼とここまで推せる幸せに辿り着いた気がしてきた。
チケットが手に入らないことも羽生結弦の人気を物語ることに他ならない。初めて生の羽生くんを見る人の元へチケットが訪れたかもしれない。裾野が広がるのはきっと羽生くんの望むところだ。画面を通した彼を見ることになっても現地の空気感を感じ取れるほど羽生くんを知ってるし語れるしと自負している。どこにいても応援の熱量は変わらない。
「八風吹けども動じず」今からでも極めていこうと思う、なんて悟ったような自分になっている。
(ひとり言)
タイトルの画像は昨年秋に訪れた札幌豊平館の窓辺です。BRUTUS表紙窓辺の羽生さんのタグが出た時ポストしたいなと思っていました。
最後のランタンの画像は今年の秋、金沢の水引ミュージアムにて。
それから私がキャンプで足を切った翌日テントをたたんで帰る早朝に撮った一枚を貼ります。人のいない風景を撮るのは本当に難しい人気スポットです。怪我の功名というやつですね。
マキノのメタセコイア並木、秋の紅葉はもうすぐです。
タイトルと一部文章を変えました。先にお読みくださった方ごめんなさい。
お読みくださりありがとうございました。
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