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2日遅れの 〜松山千春 ON THE RADIO〜 繋がる推し人

いつものようにXを見る。推しの情報を教えてもらう作業は欠かせない。誘導されてYouTubeへ飛ぶ。推しの次に続いていたのは、松山千春 ON THE RADIO 8月25日放送回だ。あれっ、千春さんは入院してるはずじゃなかったか。

松山千春のYouTubeがなぜ次に待機していたのかは私の検索履歴から、余計なお世話のお勧めだ。また全部読まれているのがほんとうに嫌だけれど、今回は良しとしておこう。
2022年北京オリンピックの羽生結弦選手への千春さんのコメント、時を経て夏季オリンピック時にそのコメント内容がTLに流れてきた。当時既に聴いていたけれど懐かしくて再び聴きに行った。

話のきっかけはリスナーの方が、あきらめなければ夢は叶うと以前送ったメールに、夢が叶わなくても結果ではなくその努力することが大切だと返した千春さんの言葉をすごく感じた北京オリンピックだった、というものだった。

「羽生君も言ってましたけどね、どんなに頑張っても努力しても報われないことがある。
羽生、やっとわかったか。お前は今まで努力したら必ず報われてたよな。今回いろんなアクシデントがあって努力しても、まあ、連覇、叶うことがなかった、あんなに努力したのに、足を怪我しながらもあんなにがんばったのに。
それ、ほとんどの人がそうだぞ。お前は初めてわかったかもしれないけど、ほとんどの人が、夢に向かって、努力して、苦労して、がんばって、それでも、報われない、叶わない、その連続、そんな毎日。
歯軋りしながら、くそぉもう一度、みたいな気持ちでな、皆がんばってんだ。
できれば結弦君、君も、まあ年齢的なこともあるかもしれないけど、やっぱり、がんばってがんばって、報われなくても、4回転半にチャレンジしたその姿、我々忘れてませんので、できればこれからも現役を続行していただいて、一年でも長く我々に、お前の、素晴らしいスケーティングを見せてもらいたいなあと思います。
フィギュア男女見てて、羽生結弦だけでした。あの会場を一瞬にして自分の世界にしてしまう、そんなスケーターは今なかなかいないと思います。
ネイサン・・・チャン?チェン?(むずかしいな人の名前って)
ネイサンチェンでも、羽生結弦のあの緊迫感を創れないんだから。
やっぱり、尊いアスリートだと思いますよ。
叶わなくてもいいじゃないか、そこまで努力してくれたら俺たちはそれで十分だし、なあ、心から拍手を、なあ、敬意を、払いたいと思います。」

松山千春ON THE RADIO 2022 2月20日

夏季オリンピックが終わった頃千春さんの病気の記事が載った。

羽生結弦がどれほど好きか散々語って来たけれど、私の人生にもう一人推しをあげるなら、それは間違いなく松山千春だ。もしかしたら羽生くんに対するより熱かったかもしれない。若いがゆえの熱烈な想い入れはそういうものかも。

ファンクラブ「千春を見守る会」会員であってもライブチケットが手に入らなかった。やっとチケットを手に入れられるようになったのは千春さんが30歳を過ぎた頃。それからは年に2回は欠かさず行った。知らない曲は無かった。トークに笑い、知り、学んだ。政治経済スポーツの話は尽きず、その交友関係はアーティストからお笑いの方まで多岐にわたった。私の沼入りは『大空と大地の中で』から始まった。自伝など記事を読み漁り、電波の悪いラジオを叩きながら聴いた。
そしてSNSなど皆無な時代のこと、思いを共にする人たちと集ったり、文通したり、子育てのことや悩み事、人生語りをし合った。

問題点をストレートについてくる、ハラハラするような言葉と笑いへの落としどころの語りがたまらなく好きだった。
さだまさしの長崎での野外ライブに友情出演していた頃二人のデュエットを聴くことも楽しみにしていたのに、いつしかさださんを毛嫌いし始めた千春さんだったけど、実際のところはどうなのさって当時さださんに聞いてみたいと思った。さださんは、千春の好きなように言わせておいてと言うと思ってる、たぶん今でも。

私が離れてしまった理由はコンサートに行けない時期が続いて、知らない曲ができてしまった。千春さんの曲全て知ってますと言う変なプライドがへし折られるのが嫌でどんどん足が遠のいて行った。

いつだったかNHKの番組で、鶴瓶さんが札幌のラジオ局へ千春さんを訪ねていたのを観た。正直言って千春さん年いったなあと思ってしまった。
若い時に究極の選択を迫られたエピソードを知っている。
「千春、酒か煙草どちらかを選べ」

千春さんは煙草を選んだ。その後の飲みニケーションはコーラだったらしい。なんで煙草を選んじゃったのかとずっと思ってたんだけど、選んだ理由も知ってるけど、久しぶりの千春さんにやっぱり、なんで煙草選んじゃったのって言いたくなった。心臓悪くなるまで煙草止めなかった夫に、自業自得だと言い放った1年前を思いながら。

ラジオの千春さんは放送のために病院を抜け出してきたという。もちろん公認だろうけれど、強い意志だろうと思った。声がいつもと違って聞こえるのは、体調のせいなのかなって思ったけれど、この日語ったことは終始デビューの頃のことで、消えない悲しみの日がまた巡ってくるその人のことを思って声が震えていたのかもしれない。

1977年1月25日『旅立ち』でデビューした千春さんはコンサート会場8月の函館で黒いステージ衣装を身に付けた。
松山千春を見いだし育てた竹田さんが亡くなった。昨日の夜電話で話したその人は、一緒に函館の会場へ行こうと約束したのに今日はもうそばにいない。コンサートでは声にならない『旅立ち』を会場の皆が歌ってくれたと聞いた。

8月27日、酒か煙草か選ばせた人、千春さんにとって大切な人、竹田健二さんの今日は命日。

(ひとり言)
羽生くんは努力したら必ず報われていたわけじゃないんです。羽生くんは言い訳をしません。愚直な努力を繰り返す人です。
GIFTを、暇を感じるくらいに回復されたら、ぜひ見てくださいませんか、千春さん。羽生くんの素晴らしいスケートは現在もより深化しながらあるのです。
お元気になられること心より祈っています。復帰コンサートは私のコンサート復帰にさせてください。楽しみにお待ちしています。

梅花藻









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