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「た!」と「る」の感動は平等に。

過去の投稿でも書きましたが、我が家には8歳になる男の子がおり、現在クライミングにはまっております。

このクライミングジムでは、コーチから手取り足取り登り方をレクチャーされることはなく、基本的に子どもが自由にレベルの異なるコースを登って、経験を積み徐々にレベルを上げていきます。
コーチはというと、遠目に子どもたちの様子を見ていて、危険を感じたら声掛けをし、アドバイスを求められたらアドバイスをし、成功したら拍手を送る。

実にいい距離感で、子ども達と接してくれています。
そんなコーチが練習時間の最初と最後に必ず言う言葉があります。

『出来た!』を『出来る』状態にまで引き上げないと、上達しない。


なかなか登れなかったコースがようやく『登れた』時、子どもは満面の笑顔とドヤ顔でアピールしてきます。当然一緒に『登れた』ことを喜びます。

でも、最初の『登れた』は、たまたまの場合もあるし、もっと効率的に登ることが出来るのかもしれない。
コーチの言う『出来る』状態とは、1回だけではなく「いつでも」「どんな時でも」登れる状態のことです。

ただ、飽き性の子どもに、1回登れたコースを何度も繰り返し練習させることは、初めて登れた時の感動がないので、なかなか難しい。

でもコーチは、過去に登った簡単なコースであろうが毎回子どもたちに、前回より良くなった点などを拍手と共に伝えてくれています。
そうすることで、子ども達も飽きることなく、『出来た!』ときの感動を『出来る』状態になっても味わうことが出来るんだと思います。

普段の生活では、「当たり前に出来ていること」はスルーされて、「出来ていないこと」だけに注目されて怒られる。
そりゃ、子ども達もやる気を失いますわな。。。

もっと、ちゃんと観察して、以前より出来るようになったことを見つける努力が親にも必要なもしれません。

初めて立っ『た!』ときの感動と、当たり前に立ってい『る』感動。
感動の種類は違えど、ちゃんと子どもに伝えられるような親でありたいと思います。


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