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無駄な事だって、記録しておいて損はないでしょう(ごあいさつ)

「朝ベッドで起きた時、外出先でトイレに入った時、電車から降りてとぼとぼ家路をたどり始めた時、、日常の其処此処の場面で、ふと5年くらい前の出来事を思い出し、月日の残酷なまでに早い流れと、変わってしまったものへの喪失感で急にさみしくなることはありませんか?」

唐突にすみません。一般の日本人的な生活環境の中で、あまり色の冴えない大学生(以下、一般人)をやっている、「ise」と申します。

たかだか二十歳前後のクソガキですが、早くも上に挙げたような、懐古的で、湿っぽい想念にたびたび囚われています……

幼き日に周りにあった風景や音、空間、雰囲気など――
よく探してみても、もうそんなものは無くなったか、変わってしまった、ということが最近増えてきました。自分が歳を取れば、周りも変化していく、という自明の真理を体感的に、じわじわと理解するようになったんですね。そして、その記憶さえも、フィルムの写真が感光して色褪せていくがごとく、だんだんと変質していくものだということも知りました。

成人すると、残りの人生はもう半分くらいの速度で過ぎていくとかどうとか。まぁ、正直そんなことはどうでもいいのですが、漫然と生きていると、日常に生きる(生きていた)自分の姿を見失ってしまう気がして、俄かに筆を取りました。

日常は基本的にどうでもいいことばかりです。そんな話を書く行為は、世界を変えるわけでも、誰かを救ったり喜ばせたりするわけでもないですが、単に自分の姿を虚心に描写してみようという、内向的に有意義であろう試みといえなくもありません。そして、いつの日か、私が、今の私とその生活とを思い出すとっかかりとなるのです。
(要は、無駄じゃないと主張したいのです)

過去にも「徒然草」とか「塵芥集」とか。著者は私とほぼ同じような考えを書いてましたね、たしか。もう何べんも何べんも考えつくされたテーマということですよ、日常を記録することについて。先人に及ぶべくもないですが、まずはとりあえず書いていきます。

冒頭で挙げた私の想念に共感してくださる方、なんか面白そうと思ってくれた方、一般の大学生による黒歴史生産過程をじっとり眺めたい方、冴えない学生の妄言に付き合ってしまうほど暇な方、ぜひともチェックしてみてください!!

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