愛とは
誰もが知っている夏目漱石。
彼を知ったのは小学生だったか、中学生だったか。
当時は国語の授業で出てくる人という認識ぐらいだった。
「月が綺麗ですね」
英語の「I love you」を漱石が「月が綺麗ですね」と訳した話は誰もが知っている。
思うに、彼は「愛」の表現が突出している。
「月が綺麗ですね」はある一つの(ここでは月)という対象を2人が眺める行為によって、心を通わせることで愛を共有している。
「夢十夜」の第一夜より
墓の横に座り百年彼女を待ち続ける彼は、百合の花が開き、暁の星が輝いた瞬間に百年がもう来ていたことを知る。
『「百年はもう来ていたんだな」とこの時始めて気がついた。』
この言葉以上に愛を感じるセリフを私は知らない。
漱石は愛を時間の共有で表現しているのだと、私は解釈している。
時間を共にするということは、感情を共有することだ。
諸行無常の世の中で、1人と出会い、時を共有する。
悲しみも、喜びも1人では生まれない。
そうであるならば、1人で生きる方が随分と楽なのかもしれない。
それでも人は、誰かと出会うことを、時間を共に過ごすことを選ぶのでしょう。
「第一夜」 ヨルシカ
夏目漱石「夢十夜」の第一夜をモチーフにした楽曲。
「朝目が覚めて歯を磨く、散歩の前の朝ごはん」
何度か曲中に出てくるフレーズ。
日常の中にも、貴方との想い出が溢れていることを感じ取れる。
「やっと貴方に出逢えた」
「ずっと待っていました」
楽曲最後のフレーズは時間の経過に伴って、「彼」が「貴方」を待つ構図が、いつのまにか逆転していることを自然に表現している。
時間が経過するにつれて、あんなに楽しかったことも嬉しかったことも悲しかったことも忘れてしまうのでしょうか。それでも時間を共にしたことは憶えていたい。
夢十夜を読んで、第一夜を聴いてそう思いました。