【小説】あれ、小便たれなんだ
お尻を出して、しゃがみこんでいる婦人がいたので、悠太は思わず自転車のブレーキをかけた。
「あれ、いつもやってんだ。小便たれなんだ」
彼に気づいた年配の男が話しかけてきた。
どこのチームだか分からない野球帽を被り、つなぎの裾は泥で汚れているので田んぼか畑で作業をしていたのだろう。
高校生の悠太は彼女の体調を気遣うというよりは、思春期特有の好奇心があったので停まることと相成った。
「はぁ」
彼は男に向かってそう言い、安堵する。
例えばこの男に「のぞいているだか?!」と言われたら、彼はただの変態になってしまう。
「しゃがみこんでいるから、体調が悪いと思って」と言い訳をしなければならない。
と、女はジーンズを上げたので、悠太はその場を離れようとした。
「百合の花が綺麗でね」
女がそう言うので、悠太は
「そうですね。百合の花にシダ植物が寄り添い、趣が増し増しですね」
彼は自転車を急発進させる。
急いだので、一度ペダルから足を踏み外してしまった。
心臓の鼓動が激しい。
彼女の臀部が有った所に生えている草村は雫で濡れているかしら。
または「物体」が転がっているかを確認したいがために戻ろうとする衝動は、そこから離れれば離れる程無くなっていった。
こうして悠太は、翌日シダ植物の図鑑を購入することと相成った。
今度彼女に会ったら、シダ植物の話を詳しくしてあげようと思ったのである。
あれから彼女に会うことは無かったが、強迫神経症で苦しむ悠太の高校生活に一輪の花を添えてくれたのは事実だ。
人とすれ違う度に、相手に自分が危害を加えなかったか、と振り返り振り返り確認行為をしていた。
当時、どんな形であれ「一期一会」を全力でやっていたと思えるのは、あれから30年経った、今になってである。