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和の音色が世界と調和する

お正月が過ぎ、気づけば1月も終わり。新年の慌ただしさが落ち着いてくる頃ですね。
お正月なんてもう遠い昔のように感じる方も多いかと思いますが、今回は「和の音楽」に耳を傾けてみようと思いつつ、箏曲家の宮城道雄をご紹介していきます。




春の海

箏曲家ってなに?と思った方もいると思いますが、お琴の演奏や作曲を行う人のことを指します。
そして「宮城道雄」という名前を初めて聞いたという方でも、以下の曲は聞いたことがあると思います。

春の海/Haru no Umi

「春の海」は、1929年(昭和4年)に作曲された箏(お琴)と尺八の二重奏の楽曲です。瀬戸内海をイメージして作曲されたといわれており、海の穏やかな風景が表現されています。
お正月のテレビ番組や、この季節の商業施設のBGM等でよく使われるため、日本のお正月を代表する楽曲としてよく知られていますね。

箏(お琴)と尺八の優雅な音色が織りなす、日本の新年を象徴するような一曲ですが、実は西洋クラシック音楽の要素が巧みに取り入れられています。
特にフランスの作曲家達の影響を受けており、流麗な旋律や日本的な五音音階を使いながらも、西洋的な響きのコードを添えることで、幻想的な雰囲気を醸し出しています。
そして、箏(お琴)と尺八がそれぞれ独立した動きをすることで、西洋音楽の対位法のような響きが感じられます。

フランスのヴァイオリニスト、ルネ・シュメーがこの楽曲を気に入り尺八の部分をヴァイオリンに編曲し、宮城道雄と共に演奏したことにより世界中でこの楽曲が認知されることとなりました。

ヴァイオリンと箏(お琴)の二重奏を聴くと、この楽曲の西洋的な要素がより感じられると思います。
またピアノでも演奏されることがあり、こちらでもクラシック音楽を感じることができます。


宮城道雄とは?

宮城道雄は、大正から昭和にかけて演奏家、作曲家として活躍しました。
1894年(明治27年)に生まれた宮城は、幼少期にかかった目の病気が原因で7歳の時に失明しますが、その後音楽の道を志します。

当時の邦楽は、古典的なスタイルを守ることが重視されていましたが、宮城は西洋音楽にも興味を持ち、ドビュッシーやラヴェルなどの曲や楽譜を研究し箏曲に取り入れました。
そして、楽譜がなく口伝えが主流であった邦楽界に、邦楽の特性を考慮した楽譜を開発し、一部の限られた人しか学べなかった箏曲が、広く一般的にも普及するようになり、革新をもたらし活性化をはかりました。

また、箏の可能性を広げるために新しい楽器の開発にも挑戦し、従来の箏は十三絃でしたが、もっと広い音域と表現力を求め十七絃箏や二十五絃箏を考案しました。このように生涯を通じて邦楽の発展に尽力しました。

演奏家、作曲家、教育者として精力的に活動していた宮城でしたが、1956年(昭和31年)6月25日未明、演奏のため大阪へ向かう途中、急行列車から転落し、死去しました。享年62歳でした。
宮城の死は、邦楽界に大きな衝撃を与えましたが、その影響は今も生き続けています。


宮城道雄の作品

幼くして視力を失った宮城でしたが、耳で世界を感じながら、邦楽の未来を切り開き、「春の海」の他にも、たくさんの曲を生み出しました。その多くはクラシック音楽の影響を受けています。

ほんの一部ですが、代表作を挙げてみました。

『水の変態』(1917年)
  水の様々な輪郭を音で表現した作品。ドビュッシーの影響が色濃い。

『千鳥の曲』(1920年)
  波や千鳥のさえずりを表現した作品。

『越天楽変奏曲』(1928年)
  平安時代から伝わる雅楽の有名な楽曲の箏と管弦楽の編曲版。
  オーケストレーションは、近衛直麿・近衛秀麿によるもの。

『さくら変奏曲』(1930年)
「さくらさくら」をもとにした変奏曲。和楽器と洋楽器の融合が魅力。

現在、宮城道雄の作品は邦楽の世界だけでなく、クラシック音楽やジャズなど幅広いジャンルの音楽にも影響を与え続けています。
宮城道雄の音楽を聴いて、箏(お琴)の響きに包まれてみませんか?


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