書物を焼く無謀
コラム『あまのじゃく』1956/4/11 発行
文化新聞 No. 2127
耳を貸せ! 学者・研究者の静かなる抵抗
主幹 吉 田 金 八
先頃、原子力発電所の為にアメリカが濃縮ウランを貸与しようというのを、『ウランを下さるのは有難いが、紐付きでは学問の自由が失われる』ということで、権威ある学者の会合が揉めたり、また一流大学の学長連が『教委法の改正は時の政治権力の不当な支配が教育界に行われる懸念がある』と共同声明を発表、さらに9日の国会の公聴会に矢内原東大総長などが反対意見を口述しているが、平素温和しい、しかも政界の俗事に超然としているこれらの学者たちが、こうも気を揃えて時の政治権力に楯突こうというのは、よほど腹に据えかねたからに相違ない。
原子力発電ウランの貸与は想像の域を出ないからさておいて、教委法の改正も小選挙区制も憲法改正と再軍備に気脈が通じている事は学者間の通説であり、政府はこれら一連の法律制度の改正により、戦争国家再現への冒険を犯そうとしているのである。
戦争中法律を守って餓死した司法官があったが、学者たちは餓死しないまでも、栄養失調になった者はほとんどおしなべての状態で、学者というものは融通も気も利かぬものである。若干の例外はあっても、いわゆる利口な世渡りというものには縁遠いものである。 記者の次男が行っている高校の2、3年先輩に南原前東大総長の息子がいて、親父が総長当時に東大の受験にわずか1点の差で1年浪人したエピソードが、学者の世界の律義さとして生徒たちに伝えられているというが、こうした片事にも学問の世界に対する世間の信頼は根強いものがある。 記者の推測では、これらの学長たちは今問題になっている小選挙区制に対して、公正な立場から強い意見をしており、腹が据えかねているのではないかと思う。
しかし、政治への嘴は自分たちの立場を考えて胸をさすって謹んで、僅かに教委制度の改悪に抗議したのではないかと思われる。権力の横車や学問への弾圧、学者を尊敬しない国家は、滅びることは大東亜戦争で身に染みた筈ではないか。
しかも、敢えて自民党はこれを行おうとしている。
恐ろしい向こう見ずであり、思い上がりである。天罰期すべきである。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします】