アサガオに・・・
最近、庭にアサガオが降臨しました。今年は雨が多かったからなのか、同じくツルで反映するツユクサにも負けず、追いつけ追い越せの勢いでうちの庭に侵入しています。
アサガオの特徴
僕が好きな落語家「春風亭柳昇師匠が作った落語の中に「朝顔を、洗うは年に、二三回」という楽しい俳句がありますが、アサガオは早朝から朝方に花を咲かせ、さっさと後片付けを始める不思議なやつですね。
儚さ大好き日本人
ダイナミックに散る桜と言い、朝だけという短命なアサガオなど、日本人って儚いものや消えゆく者にとても引きつけられるところがありませんか?
外国によってはツルがしつこく絡んでやたら増えるから「雑草」扱いになっているところもあるらしいですよ。
もちろん逆のパターンもあるのでしょうが、どちらにせよ人間にとって都合が良いか悪いかで決まる分類など、あまり興味は湧きません。
さて、根と茎と葉と花を含めて1つの個体です。
目立つ花があその日のうちに消えゆくと行っても、実際本人にとっては悲しいことでもなく、伸びた爪を切り落とすような気分なのでしょうね。
花が短命な理由
でもどうして他の花と違い、こんな毎日動きの激しい生き方を選んだのでしょうかね。とっても気になります。
気になって調べてみるものの、上記のサイトのように紹介するものと育て方のレクチャーサイトが中心で、この生き方そのものについての理由を語るサイトは見つけられませんでした。
Googleのbardにも尋ねてみましたが、なんか怪しい感じの答えが多く、今ひとつ信頼感が薄い。
残念ながら、結局これといった答えにはたどり着くことはできませんでした。皆様はアサガオのこういった生き方の理由、ご存知ですか?
判んないから考える
こうなったら自分で想像力を働かせて考えてみるしかないですね。
Googleのbardさんに尋ねた際に、しきりにこの花が「虫媒花」であるということと、1つの花は1度咲いたらもうおしまいであることを伝えていました。
虫媒花
虫によって交配して貰う必要がある花だということですね。
夏の虫は飛んで火にいる(じゃなくて)暑い日中にはあまり活動しませんね。あの憎き蚊も、近づきたくない蜂たちも、真昼の煮えたぎる暑さの時間にはどこかに身を潜めているようです。
ならばそんな虫たちが身を潜める時間に咲いても意味がない。
これならば、アサガオが午前中のうちにさっさと花を閉じ片付けを始めてしまう理由も納得できる気がします。
一期一会でなく「一花一会」
では同じ花は1度しか咲かない理由は何なのでしょうか?これは自信ある考えが見つからないのですが、なんとなく・・・。
短期集中で目立つ花を用意し、虫時間が終わったらすぐに種作りに切り替える。高回転で営みを進めて動けるうちに最大限の繁栄を目指そうという策略なのかなと考えました。
この地に出てきたからには例え1cmでも長く遠くまで成長し、あちこちで種を落としまくって来年はそこから更なる繁栄をするんだと言う感じで、とにかく「早く早く」という生き方を選んだのかも知れないと思いました。
知らないよ、想像だからね。
ひとつの生き方として
朝顔の花ってそりゃもうよくこれで反対側が透けて見えたりしないものだなあと言いたくなるほど、紙風船並の薄さですよね。これもどんどん使い捨てるための経費節減の賜物だったりして。
必要最低限の材料で最大限派手に、とにかくさっと開いて虫を待つ。昼になったらダメで元々とにかく花はしまって種の準備に取り掛かる。そして今日咲いた花は種になろうがなるまいが、次の花の準備に取り掛かる。
今日は今日の花、明日は明日の花。数打って当てる戦法の骨頂のような生き方をしているんだなあと感じました。潔くもあり、かなりガツガツした生き方にも思える。
横向きな思考
以前ちょっとご紹介した16時台だけ花が開くハゼランも、短い時間だけの開花ですが、あれは同じ花が開いたり閉じたりしているのかな?それともアサガオのようにすべて別個体の花なのかな?
植物たちと話ができたらいいのになあ。
そんなことをふと思うのですが、直後に「いやいやそんなことになったら、草刈りのたびに罪悪感の鉄格子から身動きができなくなるんじゃないの?」と慌てて首を振ってみたり。
せめて自然への敬意だけは持ち続けていたいものですね。
最後に「加賀の千代女」の作品のこちらで締めとさせていただきます。