飯能電話事件(3)
コラム『あまのじゃく』1951/6/28発行 文化新聞第128号
【このエッセイは発行当時の社会情勢を反映したものです。内容・表現において、現在とは相容れない物もありますが、著作者の意思を尊重して原文のまま掲載いたします。
党勢拡大の具
主幹 吉 田 金 八
4月2日飯能電話の増設完成祝賀会が行われた。これに臨んだ電通次官代理某は、
『本工事の完成は自由党ならではなし得ぬところであった』
と折からの地方選挙を意識しての、ジェスチャたっぷりの祝辞を述べている(本紙五日号)が、国家の施設を利用して自己の党勢拡張を図る態度こそはいやらしい極みである。
さらにまた、彼らは電話には関係なかったと言い逃れるかも知れないが、開通直後に政務次官の紹介で、生命保険の勧誘までやっている、えげつないこと至れり尽くせりである。
欲で出発し、欲で釣り、欲に終わる。正に自由党の本体をあからさまにしている感が深い。
嫌らしいで済まぬ事は、憲法に保障されている個人の基本的人権を、電話委員なる団体の陰謀で完全に蹂躙していることである。
そもそも電話の割り当ては加入申込者の立ち会いの下に、抽選で決定したのが三十年代の仕来りであった。戦争のために業態、職種による優先順位が登場し、裏面工作や顔の割り込みが可能となる制度が生まれたが、これも民主主義的に解決を要する必要がある。
仮に現段階において優先順位機構止む無しとするならば、同順位の者の間において公平に抽選を実行すべきである。
我が党の天下をカサにきて、公器を私物観し、国民の正当な権利を踏みにじり、横道平の清盛以上の暴戻を敢えてした電話ボスの行為は、鋭い世論の指弾を受けるに至った。
泣き寝入りに終わるかと見えた飯能電話事件も、読売新聞の全国版報道により、世人の新しい視聴を浴び、公正な検討を経て、電話関係の粛清、明朗化の一助となれば被害者も持って瞑すべきである。
コラム『あまのじゃく』は、埼玉県西武地方の日刊ローカル紙「文化新聞」に掲載された評判の風刺評論です。歯に衣着せぬ論評は大戦後の困窮にあえぐ読者の留飲を下げ、喝采を浴びました。70年後の現代社会にも、少しも色褪せず通用する評論だと信じます。
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